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2018年6月 ③管理と見守り(遊ぶ力・安全編)
6年前
◆輝く子どもと共に -③管理と見守り(遊ぶ力・安全編)-
今月は「遊ぶ力・安全」という観点から管理と見守りを考えてみましょう。先月同様、幼児期には、あそびについても大人の適切な「管理」と「見守り」が必要となります。この場合の「管理」とは主に危険などに対して、そうならないように大人が判断し、関与すること、また「見守り」とは余計な干渉をせずに(ただし目は話さないように)一定の距離をおいて見守ることを指します。お子さんの年齢や経験、その場の状況などによって「管理」なのか、「見守り」なのかを考え、判断することが大人に求められている大切なセンスだと思います。
一方、自分の身体をよく知ることや、自分の身体を意のままに使いこなせるようになること、危険を察知し回避できるようになることはお子さんに身につけてほしい成長の目標のひとつでしょう。これらの能力は、遊びをたくさん積み重ねてだんだんと身につけていく能力でもあり、「遊ぶ力」とも言い換えることができます。例えばブランコ遊びにしても、ただ乗っているだけのところから、遊ぶ力の高まりに応じて自分でこげるようになり、次第に勢いも増し、立ちこぎなども加えて、よりダイナミックに遊ぶように変わっていきます。動きも活発になった分、以前よりも危険が増したか?と問われれば、答えは否、遊ぶ力がつけばつくほど「より安全に遊べる」ようにもなっていくのです。このように、繰り返し遊ぶ中で失敗も経験しながら上手に遊べるようになっていくわけですから、遊ぶ力を伸ばしてやりたいと考えるならば、なるべく手や口を出しすぎないようにお子さんのあそびを「見守る」ことが大切ですし、「危ないからやめなさい」ではなくて、危な気なくできるようになるまで付き合い、応援してあげることが大切であると思います。
ある幼稚園では園庭にあるブランコに乗っていいのは放課後、保護者と一緒の時だけだそうです。理由は「保育中の安全管理上、万が一ケガをさせてはいけないから」とのことですが、これではいつまでたっても遊ぶ力が身につかないどころか、ケガをさせないことが目的となってしまい、子どもたちの成長の機会さえ奪う結果となってしまいます。昭島幼稚園では「遊びは子どもの権利」であると考え、できるだけ子どもたちが自由に、またいろんな挑戦ができるよう見守り、応援しています。上手に遊べるようになるには時間がかかりますし、失敗する時もあるでしょう。時にはケガをすることもあるかもしれません。しかし、遊ぶ力を身につけることは価値の高い成長であり、安全への確かな道のりでもありますので、辛抱強く期待をもって見守っていく必要があると思います。
ご家庭においても、親御さんの見守りの中でお子さんがいろいろなあそびにチャレンジし、「遊ぶ力」を身につけていけるようにできるだけ見守り、応援してまいりましょう
◆今月の聖句 「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」 (テサⅠ5:16-18)
聖書の一番初めには「神さまは私たちの創り主です。」と書いてあります。私たちは神さまに命をいただいてこうして元気で大きくなりました。5月の聖書は「神さまがまず私たちを愛してくださった」という言葉でしたね。私たちの創り主で、私たちを愛してくださっている神さま、神さまに喜んでいただける生き方とはどんなことなのでしょうか。
今月の言葉をもう一度思い起こしてみますと、神さまに喜んでいただける生き方の一つが「いつも喜んでいること」だと書いてありますね。せっかくいただいた命を、しょぼくれて下を向いて生きるのと、喜びに溢れて生きるのとでは、大きな違いがあります。楽しいことをたくさん探して、毎日をぜひ「嬉しい気持ち」で過ごしていきましょう。次には「絶えず祈る」と書いてあります。皆さんが幼稚園で覚えたお祈りは、神さまとつながることのできる、お話のできる時間なのです。こうして礼拝の時にみんなで心を合わせて祈ることもできますし、お食事の時や、夜ベッドの中でも、一人でいる時だってお祈りできます。ですから、いつでもどこでも大好きな神さまにお話し(お祈り)のできる(したいと思う)一人ひとりでいましょう。最後に「どんなことにも感謝する」ということです。「感謝」とは「ありがとうございます」ということです。周りの人から「ありがとう」って言われたら嬉しい気持ちになりますね。人の役に立つことは嬉しい事です。皆さんは、お父さんやお母さんに対して、また先生やお友達に対しても「ありがとう」って言えていますか?自分にされて嬉しい事は、人がされても嬉しい事なのです。どうぞ「ありがとう」の言えるみなさんでいてください。そして、命をくださった神さま、毎日食べる物をくださり、健康を与えてくださる神さまにも「ありがとうございます」の気持ちをお伝えできる一人ひとりでもいたいと思います。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2018年5月 ②管理と見守り(心の栄養・情報編)
6年前
◆輝く子どもと共に -②管理と見守り(心の栄養・情報編)-
5月も中盤を迎えました。草花も、そして虫などの小さな生き物たちも元気な姿を見せてくれています。園内ではグリーンボランティアの皆さんのお働きによってかわいい綺麗な草花が植えられ、幼稚園の小さな畑にはたんぽぽ組の子どもたちが野菜を植えました。そして園庭のあちらこちらではダンゴ虫を捕まえたり、アリを観察したりと、小さな生き物と夢中になって出合い、遊んでいる子どもたちの姿を見ることができます。出会いの一学期、新しい先生や友達に加えて、「春の自然」にもたくさん出合えるといいですね。
さて、今月は「心の栄養・情報編」について考えてまいりましょう。私たちは今、「大量の情報」の中で毎日を過ごしています。近年は特にスマートフォンやタブレットなどの普及によって、知りたい情報はいつでも、どこでもネットですぐに調べることができますし、SNSなどで海外の遠い友達とも手軽につながることができます。テレビも今や専門チャンネルも合わせて100chを超える時代です。おかげで私たちは自由にいつでもたくさんの情報を得ることができ、まさに便利で快適な暮らしを送ることができるようになりました。しかし、時として多すぎる情報はトラブルや混乱を生みます。また、人をだましたり、陥れようとしたりする悪い情報も多く存在します。数多い情報の中から、いかに危険なものを排除して安全な情報を選んでいくか、選定する能力が必要な時代ともいえるでしょう。
特に子どもに与える情報はよく吟味することが大切で、子どもにとって危険な情報はもちろん、刺激の強すぎる内容や、表現、言葉など、「まだ知らない方がよい世界=大人の世界」に属する情報を上手に排除していく必要があると思います。ある意味、情報も食事と同じような考え方を持つといいかもしれません。つまり、食事も何を食べさせようか吟味することが大切で、栄養やバランス、何が成長や健康に良い影響を与え、何が悪いのかを考えて食事を管理するように、情報も子どもの心の成長や健康に与える影響を考えて適切に管理することが大切になるでしょう。
また、テレビに代表されるように日常に飛び交う情報のほとんどは一方通行的なものばかりですが、言葉を使いコミュニケートすることは非常に大切です。ご家庭においても、幼い頃から会話の時間を大切にして、気持ちを伝え、聞きあうこと、表現の方法を十分に学べるようにしてあげましょう。特に、幼稚園での生活はお子さんにとって非常に重要です。友達と一緒に過ごし、遊びあう時間はどれもがリアルで刺激に満ちています。一方通行ではなく、互いの主張をぶつけあいながら、一緒に泣いたり笑ったりして子どもたちは大きくなっていくのです。もちろん失敗したり、繰り返したり…、長い時間がかかります。しかし、幼稚園は「子どもの世界」、ここでは安心してたくさん失敗ができます。ですからここでは、周りにいる大人は一つひとつのことに一喜一憂しすぎないように心がけ、愛情をもって支え、見守ることが大切だと思います。お子さんの話によく耳を傾けて、担任の先生とコミュニケーションもよくとりながら、お子さんの過ごしている「子どもの世界」をよく理解し、応援していただけたら幸いです。今後とも適切な管理と見守りを心がけましょう。
◆今月の聖句 「神がまずわたしたちを愛してくださった」(ヨハネⅠ 4:19)
5月を迎えて、いちご組の皆さんも一緒に加わり、こうしてみんなで礼拝をお捧げすることができるようになりました。昭島幼稚園では一週間に一度、いちごさんも、どんぐりさんも、たんぽぽさんも、そして先生たちもこの礼拝堂に集まって全体礼拝の時をもっています。今年一年もみんなで心を合わせて、讃美歌やお祈り、献金、そして聖書のおはなしを聞き、礼拝をお捧げしましょう。
神さまは目には見えないけれど、いつも私たちを見ていてくださいます。今日も一人ひとりに健康を与えてくださって、こうしてみんなと楽しく過ごすことができます。皆さんが赤ちゃんの時から、そして先生たちのように大人になっても、神様は一人ひとりを愛して守ってくださっているのです。
私たちも愛してくださる神さまに、「ありがとうございます」が言える一人ひとりでいましょう。そして神さまに喜んでいただける人になっていきましょう。
(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2018年4月 ①みんな違って素晴らしい
6年前
◆輝く子どもと共に -①みんな違って素晴らしい-
お子さんのご入園、ご進級おめでとうございます。いよいよ子ども達の幼稚園生活がスタートいたしました。幼稚園ではこの一学期を「であいの一学期」と位置付けて、幼稚園の人や場、生活、ルールなどと出会う(出合う)毎日としたいと考えています。スタートしたての今は、緊張や戸惑いを感じているお子さん(親御さんも)も少なくないと思いますが、一日いちにちを積み重ねながら、ゆっくりと幼稚園の毎日に慣れていってください。ご不明なことなどがあれば、どうぞお気軽にご相談ください。
さて、子ども達を見ていると、みんな一様ではないことに気づきます。一人ひとりがそれぞれに個性を持ち、こだわりを持って生きています。言い換えれば、幼いながらに「自分らしさ」をちゃんと持っているのです。昭島幼稚園では、この「自分らしさ」を保障していくことを保育の柱に据えています。同じ花を見ても、キレイという子ども、面白いという子ども、いい匂いという子ども、花びらが何枚あるか数える子ども、飛んできた虫に気づく子どもなど、感じ方は多様であり、答えは無限です。そして、見方、感じ方がそれぞれに違うからこそ、一人で見るよりもその体験が豊かになり、楽しくなるのです。しかし、もし一つの答えしか許されないとしたらどうでしょうか。「この花はチューリップです。」が正解であり、他は重要視されないとしたら…。言わずもがな、どう感じたかではなく、何と答えれば正解なのかと考えるようになっていくでしょう。このような環境では自分らしさを伸ばしていくことは難しいでしょう。
昭島幼稚園ではお友達は遊びや体験を通して、刺激や影響を与えあう、育ちあう仲間と考えます。お友達と互いに「自分らしさ」を発揮しあいながら創る生活は、バラエティーに富み、ユニークで楽しいものです。今年も子どもたちと共に豊かで楽しい毎日を創り上げたいと願っています。ご家庭においても、是非とも幼稚園でお子さんがお子さんらしく過ごせるように励まし、見守ってください。日々幼稚園で過ごしてくるお子さんの言葉や様子に耳や心を傾けて、たとえ短い時間であっても幼稚園の出来事を肯定的に聞いてあげましょう。また、担任の先生とも十分に関わり、ご遠慮なくどんなことでもご相談ください。ご一緒にお子さんらしさを伸ばしていけるように力をあわせて歩んでまいりましょう。
また、子ども達の集団生活がそうであるように、父母で作り上げる集団も「良い集団」でありたいと願います。もし、父母同士の関係が、或いは父母と幼稚園の関係が良好でないとすれば、子ども達に良い影響を与えるはずがありません。私達は、幼稚園という名の下に集っている集団であり、この集団は気の合う仲間と作るグループとは違います。幼稚園も、父母同士も子どもの成長に向けて共に協力していくパートナーなのです。そのことを今一度皆さんで共通確認し、あるべき集団の姿を再考してみてはいかがでしょうか。子ども達の作り上げている集団から私達が学ぶべき点は多いように思います。どうぞ、「子どもにも誇れる父母会!」を目指して、今年度もこの集団をさらに良いものにしていきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。
◆今月の聖句 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」 (ヨハネ15:5)
全園児とともに週に一度、礼拝堂で全体礼拝の時を持ちます。全体礼拝では讃美歌を捧げ、皆で祈り、聖書のお話を聞き、献金を捧げます。礼拝の時間は普段の時間と違い、心を静かにすることや、心をこめて讃美すること、心を合わせてお祈りすることなど、「自分の心」と向き合う時間でもあります。また、毎月暗唱聖句として聖書の言葉が与えられ、皆で言葉を唱えたり、聖書の言葉のメッセージを聞いたりします。子どもたちはその柔らかい頭と心で、聖句やメッセージを吸収していきます。(以下子どもの礼拝要旨)
今月は「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」 という聖句が与えられています。ぶどうの枝が豊かに実をつけられるのは、木につながっているからであり、私たちもイエスさまにつながることによって、互いに助け合うことや愛し合う喜びに与ることができます。イエスさまは私たちが本当に幸せに生きる方法を教えてくださいます。新しく迎えたこの一年も聖書を通して神さまやイエスさまにしっかりとつながっていられる私たちでいましょう。讃美歌を歌う時も、お祈りする時も、そしてお話を聞く時も、心をこめて、しっかりと神さまやイエスさまに心をつなげてお捧げできるようにしましょう。
園長 石川 勇
2018年3月 ⑪期待と不安
6年前
◆共に生きる -⑪期待と不安-
今年度の保育もいよいよ終わりの時を迎えようとしています。この一年も園とご家庭が連携し、子ども達にとって充実した一年とすることができました。これまでのお支えやご協力を覚え、この場を借りて皆様お一人おひとりに心よりの感謝を申し上げます。
保育の修了を目前としている今、4月から始まる新しい生活を想像して不安感を抱くお子さんもいるかもしれません。バッジの色が変わる、クラスの部屋が変わる、先生が変わる…。こうした生活の変化は、期待(ワクワクすること)であるのと同時に、不安(ドキドキすること)でもあります。特に卒業を控えている年長組の中には、小学校への入学に向けて大きな不安を抱くお子さん(や、親御さん)もきっといることでしょう。
しかし、そのような時にはどうぞこれまでの成長の足跡を思い出してください。初めて幼稚園の門をくぐった頃の、まだまだ小さく頼りなかったお子さんの「手」は、毎日の「経験」を積み重ねてたくましく、大きく成長し、いろんなことができる「手」になりました。お友達や先生と出会い、心の世界もグググッと広がり、心から信頼できる仲間や先生とも出会うことができました。入園当初、一体誰が今日の姿を想像できたでしょう? 毎日毎日積み重ねてきた結果が今に現れているのです。この奇跡のような成長は、お子さん本人の努力のみならず、それを支え励まし続けてきたご家族の祈りや協力の成果でもあると思います。
これまでこんなに頑張れたのですから、これからだってきっと大丈夫です。さらに大きくなっていく心と身体と知恵をいっぱいに使って、お子さんはこれからもまさに「無限の成長」に向かって大きくなっていくのですから、親御さんもお子さんの可能性を信じて、喜びや期待を前面に出してお子さんを励ましてやりましょう。先には必ず良い道が備えられていることを信じて、これからもお子さんと一緒に期待をもって歩んでいってください。
「苦しくてどうしようもない時、いつもうかんでくることばがあった。
神様がいるんだもの、なんとかなるさ そしていつもなんとかなった」
(作:星野 富弘)
これからも皆様の上に神さまのお守りと祝福がありますことを心よりお祈りしています。
◆今月の聖句:「光の子として歩みなさい」(エフェソ5:8)
4月からみなさんとご一緒に礼拝堂に集い、賛美歌を捧げ、祈り、聖書のお話を聞いてきました。いちごさんは1年間、どんぐりさんは2年間、そしてたんぽぽさんは3年間、一緒に礼拝を守ってきましたね。時間の長さには違いがあるけれど、この礼拝堂で皆さんは神さまやイエスさまと出会い、そのお考えやみ心に触れることが出来たのです。光の子とは、「神様の愛を知っている子」ということです。“昭島幼稚園のうた”にも「神さまの愛の光に、照らされて育て子らよ~」とあるように、私たちは神さまの温かい愛の光をたっぷりと浴びて大きくなることができました。
楽しかった幼稚園の毎日も、もうすぐ終わりを迎えます。いちごさんがいちごさんでいられるのも、どんぐりさんがどんぐりさんでいられるのも、そしてたんぽぽさんがたんぽぽさんでいられるのもあとわずかです。新しい一年が始まっても、どうぞ神さまがいつも近くにいてくださること、その温かい愛の光を照らしてくださっていることを忘れないでいましょう。特に、小学校に行ってしまうと、こうして礼拝を守ることはなかなかできなくなるかもしれませんが、お祈りはいつでも、またどんな場所でもすることができます。食事の前に、またベッドの中で、あるいはお祈りしたいと思った時に、いつも手を合わせてお祈りし、神さまにつながっていましょう。
また、これまでの礼拝でいろいろな聖書の言葉を覚えました。お話もたくさん聞きましたね。「あなたがたはそれぞれ賜物を授かっているのです」、「隣人を自分のように愛しなさい」、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」…。たくさんの大事な言葉に出合いました。これらの言葉をこれからもずっと大切にして、周りの人も明るく照らせるような光の子どもとして歩んでいきましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2018年2月 ⑩小さな気づき、大きな幸せ
6年前
◆共に生きる -⑩小さな気づき、大きな幸せ-
2月も中旬を迎え、今年度も残すところあとわずかとなりました。子どもたちは大きくなったこころと身体をいっぱいに使って、お友達や先生と笑顔あふれる毎日をすごしています。健康に気をつけながら、残された日々も大切に過ごしていきたいと思います。
この時期にご家庭においても、お子さんの歩んだ一年を振り返り、ぜひその成長を記憶(記録)していただきたいと思います。家庭を離れて楽しく幼稚園で過ごせるようになったことも、あるいは友達との生活を通して自分の事を自分でできるようになったこともお子さんの大きな成長です。また、外遊びが好きになった、仲良しの友達ができた、いろいろなものに興味が湧くようになってきた、自信がついた、お祈りを覚えた・・・なども、お子さんの大切な成長の証であると思います。どうぞお子さんの成長をたくさん見つけ、大いに祝福してあげましょう。お子さんの成長を振り返る時、そのきっかけを紐解くと、小さな出来事や頑張りから始まっていることが多いものです。小さなきっかけが大きな成長につながっていることを思うと、日常の中に見られるお子さんの何気ない発見や、頑張りがいかに大事か、あるいはその小さな一歩に気づき、認め、祝福することがいかに大切かを改めて気づかされます。
「木の育つ姿に学べ」という言葉があります。これは子育てにあたる親の心得的な言葉ですが、幼稚園教育の視点としても大いに参考となる言葉であり、私も心に留めている言葉のひとつです。早く育てよう、育てようと子育てを急いでしまったり、子どもの目に見える部分ばかりに気をとられてしまったりするのは、木がまだ小さいうちから「体裁を整える」ために、水や肥料を過分に与え、枝を剪定するようなものです。やりすぎてしまえば根が腐り、樹勢を弱め、結果としてあまり育たないばかりか、下手をすれば全体が枯れてしまいかねません。そうではなく、苗木の頃には日当たりや土壌に気を配り、目には見えない「根っこ」をしっかりと張らせることが大切です。人間の場合も、意欲や自信を大切にして、「待ってあげる」ことや「ほめてあげる」ことが「自ら大きくなっていこうとする力(=生きる根っこ)」を育てていくことにつながるのですから、木がゆっくりと成長していくように、ゆったりと、大らかな気構えでお子さんの成長をみていきたいものです。
だんだんと芽生えてきたお子さんの自信や意欲、etc…。まだまだ小さいつぼみかもしれませんが、将来大きな花を咲かせる大切なつぼみです。そのつぼみをさらに膨らませていけるように願い、これからも幼稚園と家庭とが力や知恵を合わせてご一緒に関わり、見守ってまいりましょう。
◆今月の聖句:「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。」(ペトロⅠ 4:10)
私たちはみんな神さまから賜物(光り輝く部分=いいところ)を授かっています。歌声の綺麗な人、話すのが上手な人、聞くことが上手な人、強い体を持つ人、面白い人、やさしい人、絵を描くことが上手な人…。数え上げたらきりがないほどたくさんの賜物がありますが、人それぞれに違った賜物が与えられているのです。
星野富弘さんという人がいます。星野さんは体育の先生をしていましたが、ある日大ケガをして首から下をまったく動かすことができなくなってしまいました。がっかりした気持ちや、悲しい気持ち、残念な気持ち…。星野さんは病院のベッドの上で寝たきりになりながら来る日も来る日も暗い気持ちで過ごしていました。しかし、あるとき星野さんは「聖書」と出会いました。聖書を読むと暗い気持ちに光がさしました。そして、星野さんは唯一動かせる口を使って絵や字を書けるように一生懸命に練習しはじめました。そして今では、星野さんの描いた絵や言葉は、たくさんの人を励まし、元気や感動を与えています。
星野さんはけがをして大変な思いをしましたが、神様と出会ってから自分に授かった「本当の賜物」と出会うことができたと思います。口を使って絵と言葉を描き、周りの人を元気にできることは星野さんの素晴らしい賜物だと思います。星野さんのこうした生き方は本当に尊敬できる生き方だと思います。
私たちも神さまから授かった賜物を生かす生き方をしていきましょう。自分に与えられた賜物は何かな?といつも心に問いかけながら、神様にお祈りしながら賜物を見つけていきましょう。そして、その賜物を神さまのご用のために、周りの人たちのために生かしていきましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2018年1月 ⑨目標を持って生きる
6年前
◆共に生きる -⑨目標を持って生きる-
新年あけましておめでとうございます。新しく迎えたこの一年も世界が平和で、子どもたちが健やかに成長できる年でありますよう祈ります。いよいよ幼稚園の三学期も始まりました。一年の最後となるこの学期は、「喜びあう三学期」として、自分やお友達の成長に気づき、また広げ深めてきた仲間との関係を大いに生かして、さらなる成長に向けてワクワクしながら、「共に喜びあえる日々」を過ごしてまいりたいと思います。
さて、今月は「目標を持って生きる」というテーマでご一緒に子育てを考えてみたいと思います。年頭にはよく「今年の抱負や目標」を宣言したり、書き記したりします。皆さんの中にもこのような習慣がある方もきっといらっしゃることでしょう。目標を掲げ、その通りに実行している人を見ると「かっこいいな、素敵だな」と感心します。「私もぜひ見習って!」と思うのですが、気がつくと目標をすっかり忘れていたり、日常の忙しさにかまけてチャレンジをあきらめてしまったり…と、なかなか目標を実行することは難しいですね。
以前に、「目標は小さく具体的に、夢は大きく」これが夢に向けて目標を達成していくコツだという話を聞いたことがあります。確かに目標を大きく掲げてしまうと、漠然としてしまいますし、実行することに時間も労力もたくさん費やさなければならず、やり遂げることが困難になってしまいがちですが、小さく具体的な目標であればより取り組みやすくなり、実行しやすくなります。また、目標はネガティブな発想で立てるのではなく、ポジティブな気持ちで立てましょうという話も聞いたことがあります。やらなきゃと思うよりも、やってみたいと思えたほうが長続きするそうです。目標に対して前向きに興味を持ち、高望みしないでできることからゆっくりと、また楽しんで取り組んでいくことが目標を達成していくポイントとなりそうです。
特に、子育ての目標となると漠然としがちです。「良い親でいたい」と思いながら、なかなかうまくいかずに悩んでいる方も少なくないと思います。しかし、「良い親でいたい」という思いは「漠然とした願い」であって「目標」とは言えません。「そもそも良い親ってなんだろう」と自分に問う事から始まり、そこから例えば「お話の聞ける親でいたい」という大きい目標が立ち、さらには「あいさつを大切にしよう」とか、「毎日少しの時間でも子どもと向き合って楽しく会話をしよう」とかいうような「具体的な目標」につながっていくのだと思います。「良い親」につながる一歩が「あいさつであり、会話である」と考えると、漠然と考えているよりはずっと充実して、前向きに取り組めるようになるのではないでしょうか。
誰しも初めから良い親であるわけではなく、毎日の関わりや経験を通して良い親になっていくのですから、今この幼児期から「良い親とはなんだろう」という問いに対してたくさん考えて、そこから生まれる小さな目標に向かって歩んでいくことが大切だと思います。小さな一歩がやがては大きな夢につながっていくことを信じて、是非とも新年にあたり、心新たに「目標を持って」お過ごしください。
◆今月の聖句:「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:39)
隣人とは、自分の周りにいる人のことを言います。おうちではお父さんやお母さん、兄弟や家族が隣人になります。幼稚園ではお友達や先生たちがみなさんの隣人です。イエスさまは、これらの隣人を「自分のように大切にしなさい」と教えていらっしゃいます。人にはいろんな人がいて、自分さえよければいいやという人がいます。隣で友だちが悲しんでいても、「自分じゃないから関係ない。関わるのが面倒だ。知らないふりをしよう…。」と見て見ないふりをする人もたくさんいます。しかし、どうでしょう。これは隣人を自分のように大切にする行いでしょうか…、違いますね。隣人を自分のように愛する人は、隣で友だちが悲しんでいたら、きっと何を差し置いてでも「どうしたの?」と声をかけ、話を聞き、その人の悲しみが少しでも楽になるように力を貸してあげると思います。
今月の聖書の言葉は、聖書の中で「最も大切な掟のひとつ」としてイエスさまがお話ししてくださった教えなのです。世界中の人たちがこの教えに従って過ごせれば、必ず世界は平和になるでしょう。どうぞ皆さんもこの言葉をずっと心にしまい、この行いができる大人になってください。幼稚園の毎日でも周りを見渡して、困っているお友達や悲しそうなお友達に気づいたら、そっと優しい手を差し伸べてあげましょう。楽しそうにしているお友達がいたら一緒に喜んであげましょう。これからも自分の周りの人たちを自分と同じように大切にできる毎日を一緒に過ごしてまいりましょう。 (子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2017年12月 ⑧分かちあう喜び
6年前
◆共に生きる -⑧分かちあう喜び-
間もなくアドベントを迎え、クリスマスを迎える準備にはいります。幼稚園にもクリスマスツリーやリースが飾られ、皆さんのご家庭にも子どもたちが作ったアドベントカレンダーが飾られることと思います。どうぞクリスマスまでの時をお子さんと一緒に心待ちにしてお過ごしください。
さて、クリスマスは、今から2000年も前に、ユダヤのベツレヘムという町で起きた「イエスさまのご降誕」を祝う全世界的な行事です。(その出来事の詳細は、幼稚園のクリスマス礼拝でたんぽぽ組による降誕劇をぜひご覧ください。)イエスさまはその生涯を通して人々に「本当の愛」を教えられた方です。「わたしは世の光である。わたしに従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)の言葉にあるように、イエスさまの愛はたくさんの人々の心に光を灯し、生きる喜びや希望を与えてきました。クリスマス礼拝(キャンドルサービス)で、真っ暗なところに一本のロウソクの火が灯され、その火が会衆に分け与えられて、やがては会場がたくさんのロウソクの光に包まれていくという光景は、まさに「イエスさまの愛」が一人ひとりの心を明るく灯し、世を照らしていくさまを表しています。そして、2000年以上も経った今でもなお、そしてこの昭島にまでも、イエスさまがいらっしゃって、変わらずに「愛を与えてくださっている」ことを思うと、驚きと同時に、この上ない喜びと感謝で胸がいっぱいになる思いです。
ところで欧米などでは、クリスマスのごちそうでよく七面鳥やケーキを丸ごと用意して、皆で切り分けて(・・・・・)食べます。また、アドベントにはクリスマスカードやプレゼントを贈りあいます。これらの行為には、「愛を分かちあう」という意味があります。愛は一人では成立しません。そして、この喜びは決してお金では買えないものです。たとえクリスマスにどんなごちそうを食べても、どんな高価なプレゼントを用意しても、一緒に過ごしてくれる人や、それを受け取ってくれる人、そして何よりも「喜んでくれる人」がいなければ空しいだけであり、決して喜びにはつながりません。逆に、ごちそうや高価なプレゼントがなくても、大切な家族や仲間がいて「愛が交わしあえたら」、それだけで心に火が灯され、温かい気持ちになるのです。ですから、愛の人イエスさまのお誕生日である「クリスマス」の喜びとは、その「愛」を分かちあう喜びなのです。
幼稚園では年長児クラスが近隣の老人施設に出かけ、年に数回交流の時を持っていますが、子どもたちの歌声に多くの方が笑顔になり、中には涙を流して喜んでくださる方もいます。そんなおじいさん、おばあさんの笑顔や表情に触れると、次第に子どもたちもうれしそうな表情になります。こちらが喜びを与えていたはずなのに、いつの間にか反対に喜びを受ける側になっているのです。「愛」は一方的にはたらくものではなく、相互的に分かちあい、また交わしあうことで相乗的に大きくなるものであると思います。愛を中心に置くと平和が生まれ、笑顔や優しさがあふれるのです。本当に愛には不思議な力があると思います。
どうぞイエスさまの教えてくださった「愛」を大切な「家族」や「仲間」と分かちあい、交わしあって、今年も「よろこびあふれる」クリスマスをお過ごしください。そして、世界中の子どもたちの上にも平和で嬉しいクリスマスが訪れますようにご一緒にお祈りいたしましょう。
◆今月の聖句:「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)
神さまは大切な独り子であるイエスさまを私たちのもとに贈ってくださいました。このことこそ、神さまがわたしたちにくださった最大のプレゼントであると思います。クリスマスは、イエスさまがお生まれになったうれしい時であり、大切なイエスさまを贈ってくださった神さまに心からのありがとうを伝える時です。
幼稚園のクリスマス礼拝では、たんぽぽ組の皆さんが、クリスマスの出来事を心をこめて、一生懸命に劇にして報せてくれます。劇を見る私たちもしっかりと心を傾けてその報せを受けましょう。その後の祝会では、皆さんから、お父さん・お母さんから、先生からそれぞれにイエスさまに対してのお誕生日プレゼントとして劇や歌をお捧げします。クリスマスのうれしい気持ちや、イエスさまを贈ってくださった神さまに対してありがとうの気持ちをしっかりと表せる時といたしましょう。
そして、バングラデシュのお友達、世界中のお友達の上に、よろこびいっぱいのクリスマスが訪れるようにみんなでお祈りいたしましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2017年11月 ⑦脱便利!
7年前
◆共に生きる -⑦脱便利!-
11月を迎え、だんだんと秋も深まってきました。この季節に公園に出かけると、木々が紅葉している様子が見られたり、どんぐりを拾ったり(今年は特に豊作)することができます。もちろん、幼稚園の庭にも、近隣の地域の中にも「小さな秋」を見つけることができます。子どもたちは、このようにいろんな場所で「実りの秋」と出会い、感じ、この季節を楽しみながら過ごしています。幼稚園では、いよいよ来週に「収穫感謝の礼拝とパーティー」を予定していますが、ゆたかな秋を与えて下さった神さま、多くの実りを与えて下さった神さまに対して、みんなで感謝を表す機会としたいと思います。
今月は「脱便利!」というテーマでつぶやいてみました。脱便利というと少々オーバーかもしれませんが、何気なく過ごしている日常生活の中で、便利さの陰となって忘れられがちな、でも「大切なこと」がけっこうあるのではないかと思います。今月はそれをご一緒に考えてみましょう。
皆さんおなじみの「ドラえもん」、四次元ポケットから「あったらいいな」と思うものを次から次へと出し、のび太を手助けしていくというストーリーですが、その裏にはもうひとつ大切なメッセージが流れているように思います。番組を見ていると、ドラえもんは、道具の便利さにすぐに溺れてしまうのび太をいつも心配しています。つまり、便利なものに依存すると自分では努力や工夫をしなくなる、便利さを私利私欲のために独占しようとすると自分勝手になる、便利さを求める欲求(もっと便利にという欲求)には際限がないなど…、便利なものに飛びつき、依存したり、独占したり、更に求めたりしてしまう人間の弱さや、便利さの陰にある大事なもの(努力、協力、工夫、がまんなど)を見落とさないようにしましょうという作者からのメッセージが伝わってきます。
確かに私たちの生活は日進月歩で、一昔前と比較しても飛躍的に便利になり、快適になりました。しかし、それによって人間の感受性、生活力、工夫力、忍耐力、ものを大切にする心、感謝の心など…たくさんの性質や能力が失われてきているとも言えるのではないでしょうか。時代をさかのぼって便利さを捨てることはできないにせよ、どっぷりと便利さの中に浸かっているだけでは「ドラえもんに心配されるのび太」のようになってしまいます。
“Plane living and high thinking”という言葉があります。簡素な生活の中でこそ高い思想が養われるという意味あいですが、生活の中に「あえて」手間のかかることを入れてみたり、不便な要素を加えてみたりすることはとても意味があると思います。手間や不便さは工夫や協力、相談などを生み出し、必要な技能や知識を養うきっかけともなるからです。例えば、食についても自家菜園(プランターでも十分)などで農作物を栽培することはとても手間がかかることであり、不便なことです。しかし、収穫までの一連の作業を通して、必要な技能や知識と出合い、家族の協力や会話が生まれ、食するうれしさに与ることができるのです。これはスーパーで買うという便利さの中では味わうことのできない経験です。このほかにも、電気や時計を使わないで過ごす日を設けてみたり、車や自転車を使わない一週間を過ごしてみたりと、アイデア次第で「手間や不便さ=簡素な生活」を味わうことができると思います。この他キャンプに行って過ごすのも最高の経験となるはずです。これからもメリハリのある質の高い生活を目指して過ごしてまいりましょう。
◆今月の聖句 「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」 (コリントⅠ3:6)
実りの秋を過ごしています。この前は「おいもほり」を楽しみましたが、あの畑は加藤さんが春からお芋を一生懸命に育ててくれた畑でしたね。加藤さんは毎日、暑い日も雨の日もお芋のお世話をして下さいました。本当にありがとうですね。
さて、ここに種と石ころがあります。種は土に植えて水をあげているとやがて根や芽が出て育ち、花や実をむすんでいきます。ところが石ころは土に植え、水をあげてもずっとそのままです。なぜ二つは違うのでしょう?それは種には「いのち」があるからです。神さまは生き物に「いのち」を与え、「成長」させてくださいます。お芋も「いのち」があるからあんなに大きいお芋に成長できたのです。みなさん一人ひとりも神さまから「いのち」が与えられ、成長しています。神さまから与えられた「いのち」に感謝してみんなの「いのち」も大切にしあって大きくなっていきましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2017年10月 ⑥振り返り
7年前
◆共に生きる -⑥振り返り-
活動の2学期、幼稚園では秋の季節をこころと身体いっぱいに感じ、ゆたかに過ごしています。そんな中、まもなく大きな取り組みでもあるプレーデーを迎えますが、この機会を通して子どもたちには「広い場所で思い切り身体を使ってあそぶ」楽しさを体験してもらいたいと思いますし、ご来場くださるお家の方々には、お子さんのがんばる姿や、楽しんでいる姿をご覧いただき、成長を喜んでいただける機会になればと願っています。父母の皆さんには何かとお手伝いいただくこともあるかと思いますが、楽しいプレーデーとなるよう、皆さんのご協力をよろしくお願いいたします。
さて、今月は「振り返る」ことについてご一緒に考えてみましょう。節目を迎えた時や、方向性・目標を定めようとする時などに、よく私たちは「振り返る」という行動をします。仕事でも「振り返る」ことは、良い仕事する上で重要なルーティンの一つです。振り返ることには、「良かったことを確認し、正すべき課題を整理して、それらを次に生かす」という意味と、「経験したことを深く心に刻む」という意味があるように思います。
時間は私たちが考えようと考えまいと過ぎていきますし、記憶も時間とともに薄れていきます。ですから、同じ時間ならば、「なんとなく過ぎていく時間よりも充実した時間を過ごしたい」、「あいまいに記憶するよりも鮮明に記憶しておきたい」と誰でも願うのではないでしょうか。そこで、「日々の振り返り」が大切になってきます。毎日日記をつけることは大変かもしれませんが、一日の終わりにその日を振り返る時を持ち、印象に残ったことを一言メモしてみたり、明日に向けて小さな目標を考えてみたりするだけでも、新鮮な気持ちで次の日を迎える、あるいは深く心に刻むことにつながっていくと思います。特にお子さんの一日は大人以上に貴重なものとして考え、ぜひお子さんとも一緒に「振り返る」時間を大切に、そして楽しんでみてください。
『のろくてもいいじゃないか 新しい雪の上を 歩くようなもの
ゆっくり歩けば 足跡がきれいに残る』 (星野 富弘「雪の道」1986年)
お子さんとじっくりと向きあって過ごせる時間は案外短いものです。先を急ぎ、前ばかり見て歩いたり、(ただただ何となく)惰性で歩いたりしていては大切なものを見落としてしまいます。人生の土台となるこの幼児期だからこそお子さんと一緒にゆっくり丁寧に、また充実して毎日を歩んでいきたいものですね。将来振り返った時に、きっとご家族の思い出の中に「いつまでも消えない足跡」がきれいに残されていることでしょう。
◆今月の聖句 「いかに楽しいことでしょう 主に感謝をささげることは」 (詩編92:2)
秋の季節を迎えました。「~の秋」というように秋にはいろいろな名前があります。食欲の秋、スポーツの秋、実りの秋…といった具合です。暑かった夏が過ぎ、涼しく過ごしやすくなりました、私たちもいろいろな秋を見つけて、感じて、いろんなことにチャレンジしてみましょう。
神さまのめぐみは私たちだけでなく、世界中の人たちからお山に住む動物たちまでに及びます。みんな神さまのめぐみの中で生きているのです。ですから私たちも「与えられているめぐみ」に気づき、神様にありがとうをお伝えしましょう。讃美歌を歌う歌声、私たちの祈る声が神さまに届きます。それだけではなく、「私たちの心」も神さまに届くのです。ですから、どういう心で讃美歌やお祈りをお捧げするのかが大切ですね。
うれしい心とありがとうの心、そして素直な心で一緒に賛美を捧げ、しっかりと耳を傾け、心を合わせてお祈りを捧げたいと思います。この秋、心も大きく育てましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2017年9月 ⑤経験
7年前
◆共に生きる -⑤経験-
夏休みが終わり、2学期がスタートしました。今学期は「活動の2学期」と位置づけて、秋から冬へと移りゆく季節をこころと身体いっぱいに感じ、楽しみたいと思います。今学期もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今月は子どもたちの「経験」についてご一緒に考えてみましょう。何によらず私たちは「経験」に基づいて考え、また行動して今を過ごしています。目の前にある出来事をそれまでに経験した出来事とすり合わせながら想像し、見通しを立ててどう行動したらよいのかを考えます。ですから経験のないことに遭遇すると、どのように行動したら良いかわからずに戸惑い、大きな不安や心配を抱きます。
昔ある動物園に「泳げないペンギン」がいたそうです。このペンギンはヒナの時にお母さんを亡くし、その後は飼育員さんが育てたそうですが、泳ぐことを教えるのは非常に困難で、結局泳げないペンギンになってしまったそうです。ペンギンにとって泳げないことは致命的であり、当然自然界では生きていくことができません。ペンギンが一人前に育ち、生きていくにも親から子への教育があり、また経験を積み重ねていく日々が必要なんだなぁと思わされるお話です。
人間にも社会の中で一人前として生きていくために大切な「知恵や業」があると思います。そしてこれらのものは幼い頃から教えられ、また経験を積み重ねながらだんだんと身につけていくものです。ですから、子育てにおいて目標をしっかりと持ちつつ、かつ長いスパンで(時間をかけて)焦らずにゆっくりと関わり(教え)、経験させてあげることが必要なのです。昔と違って、今は生きる術を教えてくれる周囲の大人(おじいちゃん、おばあちゃん、近所・地域の人など)が身近にほとんどいない時代ということもあり、ご両親の役割はおのずと増えているかもしれませんが、人間版「泳げないペンギン」にしないためにも家庭の教育や経験について今一度考えてみることがとても大切であると思います。
20年かけて、お子さんを「自分(・・)の(・)足(・)で歩けるように」見守り、育てていくことが子育ての目標であり、子育ての醍醐味であると思います。子育ては決して親の思い通りの子どもにしていくことではありませんし、逆に子どもの思う通りに何でもしてあげることでもありません。どうぞこれからもお子さんの成長にとって「いい経験」を積み重ねていけるよう、ご家庭での関わりや環境を考え、実践してまいりましょう。
◆今月の聖句 「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」 (コリントⅠ12:27)
一つの体は、手や足、鼻や口というようにいろいろな部分が集まってできています。手には手の、足には足の、鼻も口も、みんなそれぞれに違う仕事をして、でも互いに協力し合って体のために働いています。例えば、ご飯を食べる時には目や鼻が働いてそれがおいしいものなのか、どこにあるのかを確かめます。そして、手や指が働いて食べ物をつかみ、口に運びます。口は食べ物を小さく噛み砕いて体の中に入れるお仕事をしてくれます。さらに、おなかの中にもそれを消化して栄養にするためのいろんな働きを持つ部分があって私たちは生きていけるのです。これらの部分でどこが一番偉いかとか、凄いかとか考えても仕方ありません。むしろ体のためにみんなが協力して働くことが大切ですし、体にとってそのすべてが必要なのです。
さて、体の部分が違うように、私たち一人ひとりも皆それぞれに顔も性格も、得意なことも違っています。お話しが上手な人、よくお話が聞ける人、歌の上手な人、やさしい人、頭のよい人、体が強くて力持ちの人…。このように一人ひとり違う私たちですが、やはり誰がこの中で一番偉いとか、凄いとか考えても仕方ありません。体の部分のように、つながっているイエスさまの御用をお手伝いできるように自分の力を発揮し、みんなと協力していくことが大事なのです。イエスさまの御用とは何でしょうか。それは、「平和な世界、人々が互いに愛しあえる世界」を作る事です。
幼稚園でも、お家でも、これから大きくなって大人になっても、ずっとイエスさまにつながっている私たちでいましょう。そして、それぞれの力を発揮して、周りの人たちと力をあわせ、平和な世界、互いに愛しあうことができる世界を作れる私たちになりましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
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