園長のつぶやき
毎月の父母会で配布している園長のメッセージです

2019年2月 ⑩全人教育

2019-02-15 00:46輝く子どもと共に

◆輝く子どもと共に -⑩全人教育-

 今月のテーマは「全人教育」です。この言葉は人間を部分の集合として捉えるのではなく、全人格的に(Whole Parsonとして)捉えようとする人間観であり、教育観です。人間とは専門性や、知識、能力などによるだけでなく、その人間性や、感性、道徳性などと調和がはかれていることが大切であり、よって教育とは「学力などの部分に偏重することなく」総合的な観点から行うことが重要だとする考え方です。

 ところで、評価には絶対評価と相対評価という二つの大きな視点があります。例えば、同じ「片づけができた」ということについての評価でも、「今日のA君は(昨日はできなかった)遊びを途中で切り上げ、お片付けを最後までしっかりとすることができました。」という評価(絶対評価)と、「A君はクラスのお友達の中で一番はじめにお片付けをすることができました。」という評価(相対評価)となり、前者はA君自身がどうであったか、後者はA君が他と比べてどうであったかという視点で評価を受けることになります。

 多くの人は社会に出ると、競争社会の中で「他社よりも安く効率的」にとか、「ノルマ達成」とか、言ってみれば「相対評価」の中で生きていくことを強いられることになります。どの会社も生き残りをかけた競争を展開しているのですから、その戦力として力を尽くし結果を出すことが求められるのはよくわかります。しかし、この結果重視、効率性重視の価値観は、あくまでも「会社の利益追求のために考えられた」企業論理という偏った価値観であることを知らなくてはなりません。幼い頃から他と比べ、競争させるような教育方法には甚だ疑問を感じます。また、私たちはよく他人と比較して様々なことを考えます。あの子と比べて自分はこうだ、みんなが持っているから自分も欲しい、あいつ変わり者だから仲間はずれにしようetc・・・。これは他人との比較の中で自分を安定化させようとする価値観です。極端な場合には、周りの目にばかり気を使い、意思決定も自分ではできなくなってしまいます。これも相対的な物の考え方であり、偏った価値観であると言えるでしょう。現に年間に3万人もの人が自らの命を断つ時代、多くの人が鬱に悩む時代・・・、競争、比較の中だけでは人は生きられないことを、この異常な時代が表しているのではないでしょうか。

 将来このシビアな競争社会に出て行くこども達に、私たちは何を伝えていけばいいでしょうか。自分に厳しくムチ打つ精神力でしょうか、それとも競争に負けない強さでしょうか、親として様々なことをお考えになることと思います。しかし、一つ言えることは、将来のことを案ずるばかりに「今」を見失っては元も子もなくなるという事です。今この時を充実させることができなくて、どうして将来が充実できるでしょうか。多くの人が競争や比較に疲弊し、「何のために生まれてきたのだろう?」、「自分の存在価値って何だろう?」と自問し、「競争や比較に適応できなかった」と自責の念に駆られています。そのような中だからこそ、「生き生きと生きる」ことが重要となります。生き生きと生きるということは、日々が充実しているということです。等しく与えられた時間を「他者と比べて過ごす」のか、「自分で主体的に過ごす」のかでは大きく違いが出るでしょう。いつも足りないことばかり見て、不安を感じている人は、誰にも気を許すことができず、心は頑なになり、焦りや恐怖に支配されてしまうでしょう。しかし、主体的に過ごせる人は、ありのままの自分を受け入れ、自分を愛せる人であり、穏やかでオープンな心が保てます。そして、この心の余裕が充実へとつながり、生き生きと生きる原動力になるのです。

 人の成長に生育環境は大きく影響を与える事は言うまでもありませんが、自分を愛せる(自尊心を養い、高める)ためには、家庭を「安らぎの場」にすることの他方法はないように思います。条件付け(~ができたから可愛がる)をしたり、他者(兄弟も含めて)と比較したり、指示ばかりしているような家庭(結果や見返りを求める愛情)では、休まるどころか「自分は認められていない(愛されていない)」というメッセージしか伝わりません。一方、お子さんと「今この時」を心から喜んで過ごせる家庭(絶対的な愛情)であれば、居心地が良く、安らげる、生涯いつでも帰ってきたくなるような場所となるでしょう。自分をそのまま愛してくれるのですから、自分を飾る必要もありませんし、安心、安定して生活できます。食事の時などには家族がそれぞれにその日体験した喜びや発見を聞き合い、笑い合える、ユーモアたっぷりの時間を過ごしていれば、自然と会話がはずみ、おのずと親の言うことだって聞ける子どもへとなっていくでしょう。そして何よりも「自分は愛されているんだ」と実感できるのです。「自分を愛する心」とは「家族から愛されていることを実感できてこそ」初めて芽生えるのであり、そこを拠り所としてやがては自尊心へとつながっていくのだと思います。

 幼稚園でも友達と競い合ったり、比較したり、無理矢理押し付けることはしません。「安らげる家庭」のように、一人ひとりが世界に唯一のオンリーワンとして輝き、それぞれの輝きがどんどん増していくように、そして自分のことが大好きで自信に満ち溢れ、夢や希望をたくさん持てる人に成長して言って欲しいと心から願い、全人格的に子どもを捉えて保育にあたっています。ぜひ、お子さんだけでなくご両親も含めて、「今」を肯定して、充実させ、幸せな人生をお過ごしください。



◆今月の聖句 「その賜物を生かして互いに仕えなさい」(ペテロⅠ 4:10)

 神さまは私たち一人ひとりに「賜物」を与えて下さっています。世の中には、頭のいい人、力の強い人、歌声の美しい人、足の速い人、音楽を奏でることができる人、話の上手な人、やさしい人、ユニークな人・・・。いろんな良いところを持った人がいます。みんな一様ではなく、それぞれに違う良いところがあるのです。このように、その人ならではのキラキラ光る良いところを「賜物」といいます。

 聖書の言葉には「その賜物を生かして互いに仕えなさい」と書いてあります。互いに仕えるということは、その賜物をお互いのために用いていくということです。自分に与えられている賜物を自分のために使っても、それは神さまのお心ではありません。そうではなくて、自分の賜物を他の誰かのために用いるために神さは私たち一人ひとりに賜物を与えて下さっているのです。例えば、頭のいい人が自分のお金儲けのためにその頭脳を使ったとしても、あるいは力の強い人が威張るためにその力を使ったとしても、神さまはお喜びになりません。もちろん周りの人たちからも喜んでもらえないでしょう。

 ノーベル賞という賞があります。これは世界中で「人の役に立った」行いや発見、発明をした人に贈られる大変立派な賞です。世界の平和のために、あるいは人々の暮らしが便利になるように、地球を守るために・・・。たくさんの行いや研究がありますが、この賞を受ける人は、誰もが「人々のために自分の賜物を生かした」人たちです。このように、人のために自分の賜物を用いた時に周りの人たちから感謝され、神さまにも喜んでもらえるのだと思います。

 私たち一人ひとりにも神さまはちゃんと賜物を与えて下さっています。これからだんだん大きく成長し大人になっていく中で、自分に与えられている賜物は何かを見つけていきましょう。そして、その賜物を周りの人たちのために用いていける人になっていきましょう。

 自分のいいところは、案外自分よりも周りの人の方が知っていたりもします。ずっと一緒にすごしてきた3学期、よくわかりあっている皆さんだからこそ見つけられる、お友達の「良いところ探し」をしていけたらいいですね。(子どもの礼拝要旨)

園長 石川 勇