2016-09-09 00:39よりよい幼児期を目指して
◆よりよい幼児期を目指して -⑤あたまとからだ、そしてこころ-
夏休みが終わり、喜びいっぱいに2学期が始まりました。夏から秋、そして冬へと移りゆく自然を身体いっぱいに感じながら、今学期もこども達の成長を見守っていきたいと思います。皆さんで力を合わせてよい学期としていきましょう。2学期もよろしくお願いいたします。
さて、今月は「あたまとからだ、そしてこころ」というテーマでよりよい幼児期を考えてみましょう。
“頭でっかち”とか“うどの大木”という言葉があります。大そうなことは知っていても行動や体力が伴わない、あるいはその逆で、体格は立派でも頭や心がついていかないというように「頭や心と体のアンバランス」を表す言葉ですが、いかに人の成長にこれら(頭・体・心)のバランスが大切であるかを考えさせる言葉でもあると思います。
お金さえ出せば何でも簡単に手に入る便利な時代、知識や情報も、塾や習い事も多種多様に用意されている時代ですが、考えなしにただこれらの渦の中で流されるように生き、たくさんのことを詰め込むように身につけたとしても、うわべだけで芯のない大人になってしまうでしょう。やはり「生きる本質=何のために生きるのか」をしっかりと持った芯のある大人へと成長してもらいたいと心から願います。心は頭と体をコントロールする中心です。心次第で頭も体も使われ方がまったく変わっていきます。しっかりとした心(信念)のもとに知恵や体力は活かされるべきであると思います。
幼稚園でも「心が育つ保育」を目標として、一方通行の保育とならないように、相互の関わりや、一人ひとりの意欲、主体性に目をとめて保育を行っています。教師の言うことに盲目的に聞き従うような参加では健全な成長は期待できないからです。子どもたちにも小さいながら意思や意欲があります。その芽を摘むのではなく、伸ばし、広げていけるような関わりや環境作りが何よりも大切であると考えています。ご家庭においてもぜひ「親の言うことに従う子ども」を期待するのではなく、「意思のある子ども」に成長していくことを期待し、その意思に対して良い影響を与えられるような関わりや、家庭の在り方、親の生き方などを考えていってください。「お父さんやお母さんは何のために生きているのか」をお子さんに(背中で)語れるような家庭生活を送れるならば、お子さんの心に一生涯続く大切なメッセージがしっかりと継承されていくのではないでしょうか。そしてその意思(心)のもとで、はじめて頭も体も調和のとれた大人に成長していくことができるのだと思います。
◆今月の聖句 「あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です」(コリントⅠ12:27)
「この世界にあるあらゆるもの」は神さまによって創造されたと聖書に記されています。私たちも神さまの被造物であり、神さまの前では権威も年齢も関係なく等しい存在であります。ですから教会では互いを「兄弟姉妹」と呼び合い、敬い合って教会生活を過ごします。今月の聖句は、この教会生活の在り方について語っている個所です。神さまの独り子でいらっしゃるイエスさまを体として、教会に連なる信徒はその体を形作る部分として互いに主張しあうのではなく助けあい、自分勝手になるのではなく連動し、仕えあう重要性を説いています。
教会に限らず、社会においても同様であると思うことがたくさんあります。見渡せば、自己中心的な主義主張が横行し、責任を押し付け合うような見苦しい社会の一面が目立ちます。社会を体に例えればバラバラに崩壊しているような状態、何に中心をおき、どう一致すればよいのかわからない現状であると思います。
一方、昭島幼稚園の社会はどうでしょうか。子どもたちは互いに手をつなぎあい、支えあって共に大きく育っていこうとしています。教師も父母も互いに理解、協力しあってその成長を心から応援しています。子どもが中心となり、大人も一つの体のように連動しているのです。私たち個々を見れば違う人格、価値観も大きく違うかもしれません。しかし、「子どもたちの健やかな成長のため」という共通の目標を中心に置いた時に、その違いを乗り越えて互いに理解し、心や力を合わせることができるのです。これからも主張しあうよりも聞きあうことを、理解されるよりも理解することを求める私たちでいたいと思います。
園長 石川 勇