昭島幼稚園
昭島幼稚園
幼稚園について
保育理念
幼稚園のご案内
先生たちのご挨拶
学校評価
未就園児のご両親へ
幼稚園の一日・一年
園内・園外のあそび
未就園児サークルのご案内
さくらんぼの会のごあんない
お母さんたちの声
ブログ
先生のブログ
園長先生のつぶやき
くりすのへや
アクセス
お問い合わせ
TEL: 042-541-0753
先生のブログ
園長のつぶやき
園長のつぶやき
毎月の父母会で配布している園長のメッセージです
2023年10月 秋・冬の楽しみ方
1年前
◆愛の中で育つ -秋・冬の楽しみ方-
秋らしく過ごしやすい日々となりました。10月に入り、プレーデーなどの大きな取り組みも予定されていますが、これらの機会を十分に活かしあって子ども達との生活に活力を与えていきたいと考えています。ご家庭においても、お子さんの体験を大いに受容し、祝福を与えていただきますようお願い申し上げます。
さて、戸外に出る機会の多い春、夏、初秋と比べ、晩秋から冬にかけてはついつい室内に閉じこもりがちになる季節です。寒さが一番の原因でしょうし、取り立てて自然の特徴(春は花、夏は虫や水、秋は木の実など)がないと考えがちな季節であるからかもしれません。しかし、この季節ならではの楽しみ方は意外と多いのです。今月は、「秋・冬の楽しみ方」の一例をご紹介させていただき、この季節を見直すきっかけにできれば幸いに思います。皆さん同士でも是非多くのアイディアを出し合って「ゆたかな秋冬」を過ごしてまいりましょう。
<秋冬の戸外活動必需品> これだけは持っておこう
・底のしっかりした靴 ・厚めの靴下 ・手袋(五本指) ・マフラー ・ニットの帽子
※冷え対策は、足元、首筋、背中を重点的に。
<秋の自然の特徴>
紅葉、木の実が落ちる、秋の虫、作物の収穫など
紅葉:色付きを目で楽しむ、写真を撮る、拾った葉を紙に貼って楽しむ・・・
木の実:拾う、集めたもので遊ぶ(小枝や木の実を使って工作、ドングリゴマ、ネックレス、パチンコ、
まつぼっくりでクリスマスツリーなど)
秋の虫:コオロギ、鈴虫、キリギリスなど、鳴き声を調べていって聞き比べるのも楽しい
作物の収穫:みかん、りんご、大根、白菜など
<冬の自然の特徴>
落ち葉、北風、空気が澄む、気温が低い、雪など
落ち葉:落ち葉のベッド、大きな葉っぱでお面作り、焼き芋など
※木に葉が少ないという事は、バードウォッチングにも適している
北風:たこ作り、たこあげなど
空気が澄む:高いところから眺望を楽しむ、寝そべって空を見上げる、星空観察など
気温が低い:氷作り、外気温を利用して冷凍ミカン、シャーベットなどのデザート作り
雪 :雪あそび、スキー(スノーシュー、歩くスキーもお勧め)、スケートなど
寒い時の活動は、「暖」を上手に組み入れるのがコツです。例えば、冬のハイキングを楽しみ、ゴールでお風呂に入る(露天風呂があれば最高)、お昼を野外料理にして暖かなものを食べる、焚き火をする・・・など、事前に計画を立て、場所選びをしておくと楽しさが倍増します。近所で遊ぶ場合でも、からだを動かして遊ぶ、遊ぶ時間を短くするなどの工夫で十分満喫できます。(空気が乾く季節です。手洗いうがいは念入りに!)
◆今月の聖句 「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」 (ルカ6:31)
ある町に二人の人が引っ越してきました。はじめの人がその町に入ると、一人の老人が椅子に座っています。「こんにちはおじいさん。私は新しくこの町に引っ越してきた者ですが、この町はいい町ですか?」と、その人が老人に尋ねました。すると老人は「あなたの住んでいた町はどんな町でしたか?」と尋ね返しました。「いやぁ前の町はひどい町でした。みんな自分勝手で人の悪口ばかり言って、ようやくこうして引っ越すことができて清々していますよ。」その人がそう答えると、「この町もあなたが住んでいた町と同じくらいひどい町ですよ。みんな自分勝手だし、人の悪口を言う人ばかりです。」と老人は言いました。その人はがっかりしました。
次の人がその町にやってきました。町の入口に同じ老人が座っています。「こんにちはおじいさん。私はこの町に引っ越してきた者ですが、この町はいい町ですか?」すると老人は「あなたの住んでいた町はどんな町でしたか?」と同じように聞き返しました。「私の住んでいた町は素晴らしい町でした。みんな協力的で支えあい、温かい人ばかりで、本当は引っ越したくなかったのですが、仕事で仕方なくこの町にやってきたのです。」とその人は答えました。すると老人は「この町もあなたの町と同じくらい素晴らしい町です。皆優しく、協力的で温かい人ばかりですよ。」と答えました。その人はとても喜びました。
人が周りをどう見るかは、周りの人がその人をどう見ているかの鏡」であることを教えられるお話です。つまり、周りに対して不平不満ばかり言う人は、周りの人からみてもとっつきにくい存在で、結局どこへ行ってもうまくなじめない人でしょうし、周りに対して肯定的になれる人は、周りからみても協力的な人であり、馴染みやすい存在で、どこへ行っても幸せに過ごせる人です。
人にやさしくしてもらいたいと思う人は、人にやさしくできる人になりましょう。お話を聞いてもらいたいと思う人は、友だちの話をよく聞ける人になりましょう。自分だったらこうしてほしいと思うことをお友達に対してしてあげられる人になりましょう。今月はこのみ言葉を覚えて過ごしましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2023年9月 活動の二学期
1年前
◆愛の中で育つ -活動の二学期-
長い夏休みも終わり、二学期が始まりました。この二学期は、「活動の二学期」と位置づけてすごしてまいります。季節も夏から秋、そして冬へと移りゆく中で、自然の恵みにもたくさん触れながら、心も身体もいっぱいに使って過ごしていきたいと思います。以下にトピックスをご紹介し、そのねらいなどをお伝えします。しかし、何よりも大切なのはこれらの体験を含む毎日の生活です。どうぞ父母会クラス会などで「子どもたちは、今この時をどのように楽しみ、過ごしているのか」をよく受け取っていただきたいと思います。父母会の時も、益々豊かな時となることを期待しております。
▷プレーデー(10/11)
広い場所で思い切り身体を使って遊びましょう。走ったり、踊ったり、自分の身体を目一杯使って遊ぶことは楽しく気持ちの良いことです。お子様とご一緒にご家族の皆さまもどうぞ「楽しむ気持ち」をたくさん持ってご参加ください。
▷実りの秋、収穫の秋(秋の遠足など)
秋の訪れはいろいろなところで感じることができますが、子どもたちにとって身近に感じられるのは、やはり実際に目で見、手に取る直接の経験でしょう。この秋もたくさん遠足に出かけ、秋の虫、どんぐりや木の実、紅葉や落葉、おいもほりなど、様々な場所で秋の訪れや実りに触れる経験をしたいと思います。
▷収穫感謝祭(礼拝:11/20 食事会:11/21)
Thanksgiving Day はアメリカの祝日にもなっている記念日でありますが、その年の収穫と与えられている糧に感謝を捧げる時でもあります。幼稚園でも各ご家庭から野菜や果物などを一品持ち寄り、子どもたちと神さまから与えられている恵みに感謝をお捧げし、翌日にそれらを材料としたカレーパーティーの時をもっています。秋の恵みにたくさん触れることによって、感謝の気持ちを多く育みたいと願っています。
▷クリスマス(礼拝:12/15 祝会12/19・20)
イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマス。子どもたちは日頃からお祈りやお話を通してイエスさまのお人柄に触れていますが、クリスマスはその大好きなイエスさまを私たちのもとに遣わしてくださった神さまに感謝を捧げる時です。幼稚園のクリスマスは全園児で礼拝を捧げ、祝会ではご家族の皆様と共にクリスマスをお祝いします。愛と平和を教えて下さったイエスさまのご降誕を、私たちも愛と平和に満ちた心で、感謝をもって迎えたいと思います。
◆今月の聖句 「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)
平和とは、みんなが争うのではなくて、みんながやさしい気持ちをもって支え合い、お互いを大切にしあうことを言います。人と人とが争うと「言い争い」や「ケンカ」となりますし、国と国とが争うと「戦争」となってしまうことさえあります。神さまはこの世界をお創りになられた方であり、私たちも神さまに創られた一人ひとりです。神さまは私たちが自分勝手な考えでお互いに争い、傷つけあうことを望んでおられるでしょうか?きっとそうではなくて、私たちがお互いに助け合って、大切にしあう、「平和な世界」を作ることを望んでおられると思います。
平和を実現するとは、平和を作り出すということです。私たち一人ひとりが「平和を作り出す」気持ちを持って毎日の生活を過ごすことが大切なのです。そのためには「相手の気持ち」に気づいたり、その人の立場になって考えたりすることが大事ですし、みんなで心や力を合わせることも大切です。
これからも、お家では家族に対して、幼稚園でもお友だちや先生に対して、「みんなが平和でいられるように」考えてすごせる皆さんでいましょう。そして、神様に喜んでいただける行いができる子どもとして大きくなっていきましょう。 (子どもの礼拝メッセージ要旨)
園長 石川 勇
2023年7月 こどもとあそび
1年前
◆愛の中で育つ -こどもとあそび-
入園説明会の時などに「こどもにとって“あそび”はすべて」とよくお話します。なぜならこどもの成長にとってあそびは大変重要な要素だからです。こどものあそびをよく観ると、「繰り返し」が多いことに気付きます。泥ダンゴでも砂あそびでも、粘土でも「何回も繰り返す」ことでイメージを具体化したり、力加減を学んだり、コツをつかんだりしているのでしょう。取り組んでいる表情はまさに真剣そのもの、集中して「何とか自分のものにしよう」と一生懸命です。さらに、ひとつできるたびに「みてみて」と笑顔いっぱいに見せに来ます。この一連の過程には、物事に集中して取り組むことや、工夫すること、想像すること、最後までやり遂げようとすることなど、成長に必要な要素がたくさん詰まっています。「みてみて」と見せに来るのは、そのがんばりに対する「評価」を求めているからであり、大人の「おもしろいね」、「(泥の)ケーキいただきます」というリアクション(評価)が「次のモチベーション」となって繰り返しにつながっていきます。さらに、あそびは平行あそび(おなじ空間で遊んではいるが個々に遊んでいること)や模倣あそび(友達を真似て遊ぶこと)を経て友達あそびへと発展していきます。友達あそびでは、友達と遊びながら主張のぶつかり合い、折り合いのつけ方、協力などを体験し、自己主張や他者理解を同時に促し深めていきます。まさに「人と関わる術(コミュニケーション)」を学ぶのです。
遊ばない(遊ばせない)こどもはこの重要な時期を逃してしまいます。残念な事にこの時期はあとからでは補えません。中学、高校になってから後悔し、もう一度幼児期へといっても後戻りできないのです。「うちの子は遊んでばかりいて…」という言葉をよくお母さん方から耳にしますが、幼児の仕事は「あそび」ですから、熱心に遊ぶことは健全である証であり祝福すべきことだと思います。逆に、一見聞き分けのある(あそびにこだわりがない、親の言うとおりに動く)こどもの方が心配になります。実はあそびを楽しめていない、あるいはあそびよりも親の顔色を気にしているなど、何かしらの「主体的に遊べない」理由があるのだと推測できるからです。主体的に遊べないこどもは主体的に生きていくことに課題をもつケースが少なくありません。何がしたいのか自分のことを自分で決められない、責任を周りのせいにするなどの問題の多くは主体性の問題です。私見ですが、幼児の仕事が「あそび」であるのに、主体的に遊べないということは、仕事が「勉強」にシフトしたときにも主体的に勉強できない、さらに、仕事が本当に「仕事」になったときにも主体的に仕事できないということに繋がっているようにも思います。だからこそ、今夢中に遊べることは本当に素晴らしい事だと思いますし、これからも「真剣に遊びたい」と思うのです。
最後に、あそびの種類について触れたいと思います。こどもが楽しむ事が必ずしも全部「成長に必要なあそび」という訳ではありません。特に情報や物が溢れかえっている現代社会ではあそびをチョイスしていくことが親御さんには求められるでしょう。買ったおもちゃで遊ぶだけでなく、幼児期のこどもには世界観が広がるような「なるべく多くの素材やテーマ」を与えたいものです。専門性よりも体験性重視で広範囲な経験ができるように、また高価な物を与えるよりも家庭にあるありふれた素材を上手に使い、自由にお子さんが使えるようにする方が良いでしょう。こどもに必要な遊びは形も調整も「自由の利く」ものであり、正確さよりも「独創性」を期待すべきだと思います。戸外遊びでも、時には遊具のないところで草花を使って、土を使って、あるいは木に登って遊ぶ経験をさせてあげたいものです。既製品や遊具はたしかに手っ取り早く安全ですが、遊び方まで規制されてしまいます。「あそびの本来の楽しさ」とは独自性、自由さにあるのです。
ご家庭でも「あそび」を再検討し過ごしてみてはいかがでしょうか。どうぞ良い夏休みをお過ごしください。
◆今月の聖句 「種は良い土地に落ち、実を結んで百倍、六十倍、三十倍にもなった」(マタイ13:8)
今月の聖句は、「種を蒔く人」のたとえという、イエスさまの語られた大変有名なお話です。
しっかりとお話を聞くことのできる子どもは、良い土地に落ちた種のように「心の大事な場所」にそのお話を落として、いつまでも忘れることなく、また百倍にも六十倍にも実を結ぶことができます。同じお話であっても、どのような心で聞くかによって伝わり方が違ってきます。大切なお話がしっかりと心に入るように、心を整え、また耕していくことが大切であることを子どもたちは学んでいます。
普段の生活の中でも、日々の糧が与えられていることや、平和に過ごせること、家族が健康でいることを当たり前としないで「感謝」する心を大切にいたしましょう。与えられている恵みに気づいて、家族の間でもありがとうを交し合えるご家庭であっていただきたいと思います。良い家庭を作って、神さまから与えられている恵みがよい土地に落ち、何倍にも実を結ぶことができるようお祈りしています。
-夏の安全-
戸外に出る時、特に以下の点に気をつけましょう
1. 直射日光、気温
夏の日差しは身体に大きな負担をかけます。必ず帽子をかぶり、直射日光の下で長時間遊ばないように気をつけましょう。また、気温に対しても適切な判断が必要です。30℃を超えるような炎天下の中で遊ぶ時には、熱中症(日射病、熱射病)や、過度な日焼けへの対策をしっかり講じておきましょう。木陰を上手に活用して遊ぶ、涼しい場所で休憩をしっかりとることなども大切なポイントです。
2. 水分補給
子どもの体重は大人の1/3以下であることを常に考慮しましょう。身体の貯水量(タンク)が大人に比べて小さい反面、発汗量は大人と同じと考えれば、大人の何倍も給水をする必要があるというわけです。夏の季節は特に脱水症に注意が必要です。
3. TPOに合わせた服装
暑いからといって肌を露出したまま藪や森に行くのは危険です。草むらにはかぶれる草や毒虫、トゲなどが潜んでいます。夕方などにはヤブ蚊等も大量発生します。草むらに入る時には少なくとも長ズボン、靴下、靴という服装で、必ず虫除けもしていきましょう。また、万が一の時に備えてファーストエイドは用意しておきたいものです。
その他、山登り、水遊び、キャンプなどそれぞれTPOに合った服装で出かけるようにしましょう。
4. 水上安全
夏の季節に一番気をつけたいのは水の事故です。ご家庭で海や川、プールに出かける機会も多いと思いますが、絶対にお子さんから目を離さないように、また、水温、水深、流れなどはもちろん、入水時間も必ずチェックして遊ばせましょう。また、休憩時には日陰で保温、水分補給を十分にさせましょう。
5. その他
・ 規則正しい生活に心がける:就寝・起床・食事・帰宅時間など
・ 健康管理に気をつける:手洗い、うがい、寝冷え、クーラーも適度に
・ 健康に、安全に過ごせるアイディアを子どもと一緒に考え、家族で守る
-家庭でできる手軽なあそび-
道具が必要ないもの
なぞなぞ・クイズ・ジャンケン・手遊び・歌・かくれんぼ・おにごっこなど…
道具を使って
サッカー・キャッチボール・フリスビー・縄跳び・自転車・花火・お絵かきなど…
工作して
魚釣りゲーム・お面・たたかいごっこ・ダンボールのお家作り・仮装・粘土など…
おでかけして
公園・動物園・水族館・博物館・プール・映画・虫取り・木登り・山登りなど…
スペシャル企画
旅行・帰省・キャンプ・バーベキュー・天体観測・お友達のお家にお泊りなど…
ちょっとしたアイディアで楽しい活動ができるはず。お子さんと一緒に計画してみてはいかがでしょうか。
園長 石川 勇
2023年5月 自己発揮と他者理解
1年前
◆愛の中で育つ -自己発揮と他者理解-
5月に入り気持ちの良い気候の中、子どもたちは春を満喫して幼稚園生活を過ごしています。新しく入園した子ども達も次第に慣れ、笑顔や笑い声もたくさん見られるようになってきました。これからも幼稚園でたくさん遊び、ゆたかな「出会いの一学期」としていきましょう。
さて、今月のテーマは「自己発揮と他者理解」です。このテーマは、幼稚園における集団生活の大きな目標でもあります。自己発揮とは、集団の中で自分の内側に持っている欲求や感情などを言葉や態度、行動などで表す(発揮する)ことであり、他者理解とは、お友達の意見や個性を尊重し、受け容れることです。発揮することと受容すること、この二つのセンスは一見対極的にあるように思えますが、どちらも子どもの成長にとって欠かせないものであり、この両面を伸ばしていくことが大切であると考えています。
子どもにとって人前で自分を表すことはとても勇気のいることです。特に緊張や不安が高いと自分を出すことはできませんし、「したい遊びがある」等、主体的でないとなかなか自己発揮にはつながっていきません。一方、他者を理解することは直接的、かつ深い関わりの中でしか身につけられません。いろいろな個性と触れ合い、過ごすからこそ、「自分とは違う考えや気持ち」を少しずつ受け容れ、理解できるようになっていくのだと思います。また、これらの経験は「教え事」ではなく、「自らが積み上げていく」ものであると思います。幼稚園で友達と一緒に過ごし、遊びこむ毎日は、言い換えればこの二つのセンスを同時に養い育てていく毎日でもあり、子どもの成長にとって非常に価値のある経験であると思います。
「All for one, one for all(みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために)」よくラグビーのチームプレー精神に用いられる言葉ですが、幼稚園で毎日積み上げられる友だちとの関係もこの感覚と近いような感じがします。年少組では十分に集団の場に慣れて安心して過ごし、自分の好きなあそびを見つけたり、気持ちを言葉に表したりできるように、年中組では友だちあそびを中心として友達と遊びこみ、ゆたかな相互作用の中で、「自分の気持ちを伝えること、友だちの気持ちに気づくこと」を体験的に学べるように、そして年長組ではクラスの一員としての自覚を持ち、「クラスに貢献できる自分」として個々の力を大いに発揮していけるように、それぞれの段階において願いを持って生活を積み重ねていきます。子ども同士が平和で対等な関係であるようによく見守りながら、友達とのあそびや関わりを十分に経験させてあげ、子どもたちが自分の器を広げていけるよう心から応援したいと思います。
どうぞご家庭においても、お子さんのこうした幼稚園生活に目を留めて、小さな一つひとつの勇気と挑戦を認め、祝福していただきたいと思います。時にはドキドキしたり、お友達とうまくいかなかったりする日もあるかと思いますが、そんな時にはどうぞたくさん勇気づけて明日への活力を取り戻せるように応援してあげてください。友だちの中で「自己発揮と他者理解」を十分にさせてあげられる幼稚園時代としてまいりましょう。
◆今月の聖句 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」 (詩編23:1)
羊の群れを率いて養っていく人を羊飼いと呼びます。羊飼いは何百、何千というたくさんの羊を青草に連れて行き、水のほとりに導き、羊を襲うオオカミや盗人から羊を守ります。
私たちは羊のような存在で、神さまは私たちの羊飼いです。神さまは私たちを養い、危ないものから守ってくださいます。また神さまは私たち一人ひとりを愛してくださり、一人ひとりに目を留めて、私たちの心の祈りに耳を傾けてくださいます。ですから私たちも神さまに守られて安心して過ごせるのです。
羊が羊飼いを信頼して従っていくように、私たちも神さまに心を開き、信頼して、いつも「ありがとうございます」の心を忘れずにすごしていきましょう。そして、神様に喜んでいただけるような子どもになっていきましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2023年4月 出会いの一学期
1年前
◆愛の中で育つ -出会いの一学期-
お子さんのご入園、ご進級おめでとうございます。いよいよ2023年度の保育が始まりました。この一年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、4月は新しく入園した子どもたちはもちろん、進級した子どもたちにとっても新しい一年への「スタートの時」です。新しい生活や経験は私たちの気持ちを新たにし、意欲をかき立ててくれる時でもありますが、同時に戸惑いや不安を感じさせる時でもあります。入園や進級を迎え、子どもたちの心中にもきっと「期待と不安」が入り混じったような複雑な感覚があるに違いありません。特にゼロからのスタートを迎えた新入園の子ども達にとっては、見るもの聞くものすべてが初めての経験であり、戸惑うのも不安になるのも当然、自然なことであると思います。
幼稚園ではこの学期を「出会いの一学期」と位置付け、新しい人や場、生活との出会い(出合い)が丁寧であるよう、また豊かであるよう心がけていきたいと考えています。特にこのスタートの時には、戸惑いや不安の中にある子どもたちが安心して生活できるように一日一日丁寧に関わりながら生活を積み重ね、教師との信頼関係を深められるように特に配慮し、励ましながら過ごすように努めてまいります。安心して幼稚園生活を過ごせるようになる過程には個人差がありますから、ご家庭においても担任の先生とよくコミュニケーションをとって、お子さんのペースで一つひとつを乗り越えていけるようにあせらず、急がず、気持ちに余裕をもって見守っていくように努めていただきたいと思います。また、新しい環境に順応していく時は想像以上に心や神経を使い疲労します。お子さんがお家でボーっとしたり、だらだらしたり、機嫌が悪くなったりすることもあるかもしれませんが、幼稚園での頑張りをよく理解してあげ、ご家庭では努めてリラックスできるように環境を整えたり、関わりを考えたりすることもこの時期のお子さんに必要な配慮となるでしょう。
この時期は子どもたちにとってだけではなく父母の皆さんにとっても出会いの時、スタートの時です。お子さんと同じように戸惑い、不安を感じている方も決して少なくないと思います。毎日の送り迎えの中で、また父母会などの機会で、あいさつや言葉を交わしあいながら子どもたち同様「無理せず等身大でゆっくりと」幼稚園や周りの方々と出会ってまいりましょう。経験の長い方も、どうぞ新しい年度にあたって新しい気持ちで出会い直し、更に交流を深めたり広げたりできる一年を過ごしていってください。皆さんにとってこの一年も有意義で幸せな年となりますことをお祈りしております。
◆今月の聖句 「新しいぶどう酒は新しい革袋に」(ルカ5:37-38)
子どもたちの礼拝では、毎月聖書から与えられた「み言葉」を皆で覚え、考えあう時を持っています。
今月は「新しいぶどう酒は新しい革袋に」というみ言葉が与えられています。
(聖句)「また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を破って流れ出し、皮袋もだめになる。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れねばならない。」(ルカ5:37-38)
イエスさまの過ごされていた2000年前の時代は、ぶどう酒を羊や山羊の革袋に入れて発酵させていたそうです。皮は古くなると硬くなり柔軟性がなくなるので、新しいぶどう酒を入れると、発酵により生じるガスで革袋が破れてしまうことから、新しいぶどう酒を作る時は必ず柔軟性に富んだ新しい革袋に入れることが常識でした。このイエスさまのたとえ話は、アメリカのオバマ前大統領もスピーチの中で引用し、「新しい時代は古い固定概念の中では築けない。新しい時代は新しい価値観の中で作るのだ」と語りました。
私たちは情報化社会の中で、日々溢れるほどの情報に浸かって生きています。しかし、その情報を何でもかんでも同じ袋に入れていたら、他のガラクタとゴチャゴチャに混ざり合い、何が大切であるか分からなくなってしまいます。人生を豊かにしていくために、あるいは幸せに生きるために大切な言葉や考えは、やはり新しい袋に分けて他のものとは区別していくことが必要でしょう。
是非心の中に新しい革袋を用意し、大切なことを一つひとつしまってまいりましょう。
園長 石川 勇
2023年3月 コミュニティー
1年前
◆輝く子どもと共に -コミュニティー-
いよいよ一年の保育の歩みが終わろうとしています。この一年間、皆様の温かい励ましとお支えの中で「ゆたかな保育」を展開する事ができました。こどもたちのために、父母会をはじめ、様々なボランティア活動にも積極的に関わってくださり、心から感謝申し上げます。
さて、今年度の最後となる3月は「コミュニティー」について考えてみましょう。
以前、ケニヤから野生動物の保護活動をしている方をお招きして講演会がもたれ、ケニヤのゾウについてお話を伺う機会がありました。ゾウは社会性が高い動物で、その生涯を自分の所属する群れで過ごすこと、群れには年長者(70歳くらい)から生まれたてのあかちゃんまでおり、その群れは20頭近い規模であること、子ゾウは群れ全体で育て、生きていく知恵やルールなどが時間をかけて教え伝えられていくこと、など大変興味深いお話を聞くことができました。その話の中で、ゾウが近年人間を襲ったり、農作物を荒らしたりする事件が多発しており、深刻な社会問題になっているということを聞きました。元来人間とうまく共生していたゾウが、なぜそのような行動をとる様になったのか?観察や研究が進み、ひとつの事実が分かったそうです。それは、象牙のために密猟者によって「特に象牙の大きい年長者から」殺されてしまう、このことは、ゾウの群れにとっては「生きる知恵やルール」を伝えていくべき存在が突然いなくなるということで、その年長者を欠いた群れで育った(教育を受けていない)ゾウが被害をもたらすような行動をしてしまうのだそうです。長い歴史をかけて人間との間に築かれてきた暗黙のルールが今まさに壊れようとしている・・・。人類の歴史にとっても本当に大きな損失であると思うのと同時に、この日本で生きる「私達の生き方」にも共通するメッセージなのではないかと思いました。
現代の日本社会はどうでしょうか。「昔のような地域社会」はだんだんと姿を消し、「知らない人には話しかけない」ことが常識のように子ども達に伝えられ、地域から「笑顔とあいさつ」が消えました。近所の個人商店は、すっかりと大型スーパーに押し潰されてしまい、近所の知り合いのおばちゃんやおじちゃんもいなくなりました。つまり、こどもが社会と出会う機会がすっかりと奪われてしまったのです。生活環境が「家庭」と「学校」だけだとしたら、そしてもし仮に家庭教育が十分でなく、かつ学校が教育カリキュラムに追われているような状況であったとしたら、こどもたちはどこで「社会のルール」や「生きる知恵」を学ぶのでしょうか。最近の若者の特徴として、無気力、無関心、自己中心的、我慢を知らない、普通の子がキレる・・・などが挙げられます。しかし、幼い時から「社会のルール」や「生きる知恵」を教えられていないのだとすれば、自己中心的に行動することも、周りには無関心で、無理強いされればキレるのも何となくうなずけるのです。そして、その姿は上記の「問題を起こすゾウ」の姿によく似ているように思います。
コミュニティーとは、まさにゾウでいう「群れ」にあたります。群れの中で育つ事によって、ゾウが自然と生きる知恵やルールを身に付けていくように、人間も群れの中で育つ事によって、たくさんの知恵やルールを学び、時には自分よりも小さな存在を守る、教えるなどの経験も積んでいくのだと思います。そのような環境の中で、例えば、「自分勝手ではないが、自分らしい生き方」や、「自分を守りながらも他者と生きていく術」、「分相応の幸福感」など・・・、自分にも周りにもコントロールの効いた「等身大の生き方」を見つけていくことができるようになるのではないでしょうか。
「今、私はどんな群れの中で生きているのか?」この機会にご自身に問いかけてみるのも良いかもしれません。そして、自分自身が「今もなお生きる知恵を学び、伝えているか」あるいは、「どんな群れであれば生きる知恵を伝えていけるのか」、「生きる知恵とはどんなことだろうか?」といったことを是非考え、皆さんの話題にしてみてください。なぜならば、こうした取り組みや行動こそがコミュニティー作りの始まりだと思うからです。願うような環境はどこにでもあるわけではありません。しかし、願う気持ちと仲間が集まれば誰にでもその環境を作ることができるのです。まずは一人より二人(IからWe)へ願いを広げてみてはいかがでしょうか。
◆今月の聖句 「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子です。」(ヨハネⅠ 3:2)
幼稚園では週にいっぺん、こうしてみんなで礼拝堂に集まり礼拝を守ってきました。礼拝では、讃美歌を賛美し、皆で心をあわせてお祈りし、献金をお捧げして、聖書のみ言葉を覚えて、そのお話を聞いてきました。それぞれのクラスでも毎日お祈りや賛美をお捧げしてきましたね。
みなさんの頭の中には讃美歌や、聖書の言葉、きれいなメロディー、お祈りやお話の内容などがきっといっぱい入っていることでしょう。そして、一人ひとりの心の中には「神さま」がいらっしゃることに気がつくと思います。皆さんはこの一年、礼拝に参加し、その経験を積み上げながら「神さま」を知り、神さまの「愛」に触れてきたのです。ですから、この聖書の言葉の通り、今、もうすでに皆さんは神の子どもなのです。
神さまを信じて生きていくことを「信仰をもって生きる」と言います。心の中にいて下さる神さまといつも対話をして、うれしい時も、悲しい時も、心配な時も、怒りに震える時も、いつもいつも神様を信じて生きてまいりましょう。私たちの神さまは、愛の方です。自分の命や心を大切にして、お友達と仲良くして、互いに助け合い、理解し合って平和を創り出してまいりましょう。これこそが「神の子」として神さまに喜んでもらえる生き方だと思います。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2023年2月 全人教育
1年前
◆輝く子どもと共に -全人教育-
今月のテーマは「全人教育」です。この言葉は人間を部分の集合として捉えるのではなく、全人格的に(Whole Parsonとして)捉えようとする人間観であり、教育観です。人間とは専門性や、知識、能力などによるだけでなく、その人間性や、感性、道徳性などと調和がはかれていることが大切であり、よって教育とは「学力などの部分に偏重することなく」総合的な観点から行うことが重要だとする考え方です。
ところで、評価には絶対評価と相対評価という二つの大きな視点があります。例えば、同じ「片づけができた」ということについての評価でも、「今日のA君は(昨日はできなかった)遊びを途中で切り上げ、お片付けを最後までしっかりとすることができました。」という評価(絶対評価)と、「A君はクラスのお友達の中で一番はじめにお片付けをすることができました。」という評価(相対評価)となり、前者はA君自身がどうであったか、後者はA君が他と比べてどうであったかという視点で評価を受けることになります。
多くの人は社会に出ると、競争社会の中で「他社よりも安く効率的」にとか、「ノルマ達成」とか、言ってみれば「相対評価」の中で生きていくことを強いられることになります。どの会社も生き残りをかけた競争を展開しているのですから、その戦力として力を尽くし結果を出すことが求められるのはよくわかります。しかし、この結果重視、効率性重視の価値観は、あくまでも「会社の利益追求のために考えられた」企業論理という偏った価値観であることを知らなくてはなりません。幼い頃から他と比べ、競争させるような教育方法には甚だ疑問を感じます。また、私たちはよく他人と比較して様々なことを考えます。あの子と比べて自分はこうだ、みんなが持っているから自分も欲しい、あいつ変わり者だから仲間はずれにしようetc・・・。これは他人との比較の中で自分を安定化させようとする価値観です。極端な場合には、周りの目にばかり気を使い、意思決定も自分ではできなくなってしまいます。これも相対的な物の考え方であり、偏った価値観であると言えるでしょう。現に年間に3万人もの人が自らの命を断つ時代、多くの人が鬱に悩む時代・・・、競争、比較の中だけでは人は生きられないことを、この異常な時代が表しているのではないでしょうか。
将来このシビアな競争社会に出て行くこども達に、私たちは何を伝えていけばいいでしょうか。自分に厳しくムチ打つ精神力でしょうか、それとも競争に負けない強さでしょうか、親として様々なことをお考えになることと思います。しかし、一つ言えることは、将来のことを案ずるばかりに「今」を見失っては元も子もなくなるという事です。今この時を充実させることができなくて、どうして将来が充実できるでしょうか。多くの人が競争や比較に疲弊し、「何のために生まれてきたのだろう?」、「自分の存在価値って何だろう?」と自問し、「競争や比較に適応できなかった」と自責の念に駆られています。そのような中だからこそ、「生き生きと生きる」ことが重要となります。生き生きと生きるということは、日々が充実しているということです。等しく与えられた時間を「他者と比べて過ごす」のか、「自分で主体的に過ごす」のかでは大きく違いが出るでしょう。いつも足りないことばかり見て、不安を感じている人は、誰にも気を許すことができず、心は頑なになり、焦りや恐怖に支配されてしまうでしょう。しかし、主体的に過ごせる人は、ありのままの自分を受け入れ、自分を愛せる人であり、穏やかでオープンな心が保てます。そして、この心の余裕が充実へとつながり、生き生きと生きる原動力になるのです。
人の成長に生育環境は大きく影響を与える事は言うまでもありませんが、自分を愛せる(自尊心を養い、高める)ためには、家庭を「安らぎの場」にすることの他方法はないように思います。条件付け(~ができたから可愛がる)をしたり、他者(兄弟も含めて)と比較したり、指示ばかりしているような家庭(結果や見返りを求める愛情)では、休まるどころか「自分は認められていない(愛されていない)」というメッセージしか伝わりません。一方、お子さんと「今この時」を心から喜んで過ごせる家庭(絶対的な愛情)であれば、居心地が良く、安らげる、生涯いつでも帰ってきたくなるような場所となるでしょう。自分をそのまま愛してくれるのですから、自分を飾る必要もありませんし、安心、安定して生活できます。食事の時などには家族がそれぞれにその日体験した喜びや発見を聞き合い、笑い合える、ユーモアたっぷりの時間を過ごしていれば、自然と会話がはずみ、おのずと親の言うことだって聞ける子どもへとなっていくでしょう。そして何よりも「自分は愛されているんだ」と実感できるのです。「自分を愛する心」とは「家族から愛されていることを実感できてこそ」初めて芽生えるのであり、そこを拠り所としてやがては自尊心へとつながっていくのだと思います。
幼稚園でも友達と競い合ったり、比較したり、無理矢理押し付けることはしません。「安らげる家庭」のように、一人ひとりが世界に唯一のオンリーワンとして輝き、それぞれの輝きがどんどん増していくように、そして自分のことが大好きで自信に満ち溢れ、夢や希望をたくさん持てる人に成長して言って欲しいと心から願い、全人格的に子どもを捉えて保育にあたっています。ぜひ、お子さんだけでなくご両親も含めて、「今」を肯定して、充実させ、幸せな人生をお過ごしください。
◆今月の聖句 「その賜物を生かして互いに仕えなさい」(ペテロⅠ 4:10)
神さまは私たち一人ひとりに「賜物」を与えて下さっています。世の中には、頭のいい人、力の強い人、歌声の美しい人、足の速い人、音楽を奏でることができる人、話の上手な人、やさしい人、ユニークな人・・・。いろんな良いところを持った人がいます。みんな一様ではなく、それぞれに違う良いところがあるのです。このように、その人ならではのキラキラ光る良いところを「賜物」といいます。
聖書の言葉には「その賜物を生かして互いに仕えなさい」と書いてあります。互いに仕えるということは、その賜物をお互いのために用いていくということです。自分に与えられている賜物を自分のために使っても、それは神さまのお心ではありません。そうではなくて、自分の賜物を他の誰かのために用いるために神さは私たち一人ひとりに賜物を与えて下さっているのです。例えば、頭のいい人が自分のお金儲けのためにその頭脳を使ったとしても、あるいは力の強い人が威張るためにその力を使ったとしても、神さまはお喜びになりません。もちろん周りの人たちからも喜んでもらえないでしょう。
ノーベル賞という賞があります。これは世界中で「人の役に立った」行いや発見、発明をした人に贈られる大変立派な賞です。世界の平和のために、あるいは人々の暮らしが便利になるように、地球を守るために・・・。たくさんの行いや研究がありますが、この賞を受ける人は、誰もが「人々のために自分の賜物を生かした」人たちです。このように、人のために自分の賜物を用いた時に周りの人たちから感謝され、神さまにも喜んでもらえるのだと思います。
私たち一人ひとりにも神さまはちゃんと賜物を与えて下さっています。これからだんだん大きく成長し大人になっていく中で、自分に与えられている賜物は何かを見つけていきましょう。そして、その賜物を周りの人たちのために用いていける人になっていきましょう。
自分のいいところは、案外自分よりも周りの人の方が知っていたりもします。ずっと一緒にすごしてきた3学期、よくわかりあっている皆さんだからこそ見つけられる、お友達の「良いところ探し」をしていけたらいいですね。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2023年1月 子どもの成長
1年前
◆輝く子どもと共に -子どもの成長-
新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。いよいよ3学期が始まります。この3学期は、1学期からの「一人ひとりの成長」に目をとめて、喜び合う毎日としていきたいと思います。健康に気をつけ、豊かな日々としていきましょう。
さて、今月は「子どもの成長」についてご一緒に考えてみたいと思います。幼児期に特に必要な成長を挙げるとすれば、私は「基本的生活習慣の確立」と「基本的信頼関係の構築」ではないかと考えます。
「基本的生活習慣」とは、食事、睡眠、排泄、清潔、着衣の着脱の5つが一般的ですが、その他にも生活態度(あいさつ、約束や時間を守る)などが含まれます。これらすべてにおいて全介助が必要であった乳児期から、幼児期には(徐々に手を出さずに、見守りながら、段階を追って、やがては、)自分の力でできるようになる(自立と自律する)ことが必要で、親の関わり方がとても重要な時期と言うことができます。最近、集中力がない、きまりが守れない、物を大切にしない、じっとしていられない、朝食を食べない、などの課題がある子どもが増えていると耳にしますが、これらの多くは基本的生活習慣に関わる問題であり、主にその原因は生活にリズム(きまりや区切り)がない、過干渉(何でもしてあげる)など、大人の関わり方の問題とされています。基本的生活習慣の一つひとつは単独で考える必要のある課題でもありますし、食事が十分でなければ、睡眠や排泄にも影響を与えるように、相互に関係しあうものなので複合的に考える課題でもあります。幼児期には十分に時間をかけて一つひとつを「自分の力で達成できる」ように環境を整えていくこと、そしてリズムをしっかりと身につけられるように「規則正しく」生活していくことが重要です。
次に「基本的信頼関係の構築」ですが、ご家庭ではご両親とお子さんの信頼関係をどのように構築するか、幼稚園では教師や友達との信頼関係をどう構築していくかということになるでしょう。ご両親が、あるいは教師が子どもと関係を築く時に気をつけなくてはならない事は、まずは「信頼とは何か」をよく考える事だと思います。信頼は依存や、服従とは違います。何でもしてあげること、力ずくで押さえ込もうとする事は、いずれも信頼とは対極的な関わりであり、こどもの成長を妨げます。手助けや管理は適切でなければなりませんし、関わりの中心にすべきではありません。信頼には互いを信じ、尊敬しあう心が必要です。また、相手に何かを「させられる」のではなく、相手のために「自らする」ことが信頼に応えるという行動です。知識や体力をいくらつけたとしても、人を信頼するという感性が欠落したまま大人になってしまうと、自分以外は信用できない、自分さえよければ他人はどうでもいいといった自己中心的な価値観に偏り、ついには孤独や絶望に支配された寂しい人生を送ることになるでしょう。「人を信頼し、その信頼に応えていく」という感性は、人間関係において非常に重要であり、人生そのものを豊かにします。ですから、幼児期に家庭や幼稚園での生活体験を通して、他者を信じる、尊敬する心を育むことは非常に大切なのです。
「基本的生活習慣の確立」と「基本的信頼関係の構築」は別々の課題ではなく、関連づけて考えると良いと思います。つまり、生活習慣を身につけていく過程で親子の信頼関係を深めていけるような生活のあり方を考えるということです。それぞれの時間が「わかりやすいように、また楽しくなるように」工夫して「大人も一緒に」楽しみながらそこに参加し、「してもらう喜びから自らする喜びへ」転換していけるような生活が送れたならば、また子どもが自分でできた時に心からの賞賛を与え、共に喜んでいける生活が送れたならば本当に素晴らしいと思います。自分でできた達成感は自尊心を養い、賞賛されることで自信となります。もっとお母さん、お父さん、(先生)を喜ばせたいという気持ちが次の意欲となり、やがては自ら考え、行動できるようになっていくのです。
幼稚園の一年の歩みも終盤を迎えました。園生活ではこれまでに様々な生活課題を「楽しみながら達成できるよう」工夫し、援助し、教師も共に参加し歩んできましたが、この時間を通して得た成果はやはり「信頼関係」であると思います。教師を信頼しているからこそ、みんなの中で自分を出して(自己発揮して)いけるのですし、友達とも安心して遊び、ぶつかる(他者理解する)ことができ、このような生活体験を重ねていくことで「皆で力を合わせ、心を合わせる」ことのできるクラスへと成長していくのだと考えています。来月には成長を祝いあう会が持たれますが、生活体験の長さや年齢によっての違いこそあるものの、安心して自己発揮している姿、友達と仲良く遊び、ぶつかりながら互いを求め合う姿、クラスのみんなで力と心を合わせ、誇らしく参加している姿などをご覧になり、どうぞたくさんの賞賛を与えて下さい。その姿こそがお子さん自身の力であり、成長なのですから。
◆今月の聖句 「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」(ルカ6:31)
幼稚園がおうちと違うところは、同じ年のお友達、それもたくさんのお友達と生活することだと思います。おうちでは、好きなおもちゃもいつだって、いつまででも、独り占めして遊ぶことができるけれど、幼稚園では、「そのおもちゃ」で遊びたい他のお友達もいますから、なかなか自分の思い通りにはならないこともありますね。幼稚園に入りたての頃は、そのことでずいぶん苦労したと思います。これはボクの(ワタシの)、と言って取りあったり、遊んでいるおもちゃをサッと取られて泣いてしまったり・・・、だれもが経験することです。でも、3学期になった今ではみんな上手にお友達とすごす(遊ぶ)ことができるようになりましたね。それは、「順番こ」とか、「先にいいよ」とか、「一緒に遊ぼう」とか、みなさんの中に『譲り合う心』が育ってきたからです。
この「譲り合う心」は皆さんが大きくなって大人になってもずっとずっと大事な心です。時々、大人になっても、順番を守れない人、欲しいものは独り占めにしようとする人を見ます。この人たちは「譲り合う心」を知らない人たちです。こういう人たちは、自分勝手で、みんなと楽しく生活することができません。でも、みなさんは幼稚園で、もうこの心を持つことができました。小さいうちに大切な心が持てて良かったですね。この心があれば、みんなと楽しく幸せに過ごすことができます。ぜひこれからもこの心を大切にしていきましょう。
さて、お友達との生活は譲り合うことだけではありません。お友達のことをよく知れば知るほど、お友達の気持ちがわかります。「あ、今日は元気がないな」とか、「なんか嬉しいことがあったのかな」とか、仲良くなるとお友達の心がわかるようになるのです。そんな時に、「人にしてもらいたい」と思うことを「人にしてあげる」ことのできる皆さんになってほしいと思います。「こんな言葉をかけられたらうれしいだろうな」とか、「こんな風にされたら喜ぶかな」とか、自分がされてうれしいことをお友達にもしてあげましょう。逆に、「こんな風に言われたら嫌だな」とか、「こんなことされたら嫌だな」と思うことは「しない」ようにしましょう。
これからもみんなと心をつないで、互いに心を配りながら、お友達を大事にして、楽しく過ごしてまいりましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2022年12月 クリスマスの喜び
1年前
◆輝く子どもと共に -クリスマスの喜び-
12月に入り、アドベント(待降節)を迎えています。幼稚園でもだんだんと近づいてくるクリスマスのお祝いに向けて、子ども達とうれしい気持ちを高めながら毎日を過ごしています。
アドベントとはイエス様の降誕を待ち望む期間のこと、クリスマスまでの4週間を指します。アドベントに入ると、教会ではクリスマスクランツのロウソクに毎週一本ずつ火が灯され、子ども達はアドベントカレンダーの窓を毎週一つずつめくります。クリスマスカードを互いに交わしあい、ツリーやリースを飾り、家庭で、地域で、世界中でクリスマスを心待ちにします。
ところで、アドベントは「到来」とか、「降臨」といった意味ですが、冒険を意味する「アドベンチャー」の語源となった言葉でもあるそうです。主の降臨を待ちわびる、「ドキドキ、ワクワク」の気持ちが、冒険の時のそれとつながって「アドベンチャー」という言葉になったのかもしれません。ワクワクするのはその先に大きな喜びがあるからです。冒険の喜びは「先に何があるのか!」、「どんなものに出会えるのか!」など、未知なるものを「見たい」、「知りたい」という願望であるように思いますが、では、クリスマスの喜びとは一体どんなものなのでしょうか。一つの例をご紹介します。
コロナ禍の前までは、例年クリスマスの喜びを届けにたんぽぽ組の子どもたちが近隣の老人施設を訪問していましたが、子どもたちの歌声や愛くるしさに触れ、涙を流し喜ばれる方の姿や、笑顔いっぱいに拍手する方の姿などを多く目にしました。様々な事情で家族と離れて施設で生活する人たちの多くは、「孤独感」を抱えながら生活しています。子どもたちの歌声や笑顔は、ちょうど暗い場所に一本のロウソクの火が灯るように、そうしたお年寄りの心に火を灯すのでしょう。このように、クリスマスの喜びとは、「心に火が灯るような温かい喜び」であり、その火(喜び)を周りの人と「分かちあう喜び」だと思います。「喜びを分けあったら喜びが倍になった。苦しみを分けあったら苦しさが半分になった。」という言葉がありますが、分かちあうことの意味を私たちに教えてくれる言葉だと思います。
イエス・キリストは「愛の人」と言われています。その生涯を通して世界中の人々に「本当の愛」を示された方だからです。そのイエス様のお誕生日であるクリスマスに、私たちも家庭や職場、仲間の中に「愛」と「感謝」を改めて感じ、伝えあう機会としたいと思います。普段は忙しいお父さんもこの日ばかりは早く帰ってきて、みんなでご馳走を囲みながら「ありがとう」を伝えあえたなら、きっと「心に火が灯り、喜びを分かちあう」、素晴らしいクリスマスになることでしょう。どうぞ、よいクリスマスをお過ごしください。そして、新しく迎える一年も各ご家庭の上に神様の祝福が豊かにありますことをお祈りしています。
(マザーテレサのことばより)
「私たちは忙しすぎます。ほほえみを交わすひまさえありません。ましてや、愛を与えたり、受けたりするひまはないという状態です。」
「この世でいちばん美しいことは、神様が私たちを愛してくださるように私たちも互いに愛することです。私たちがこの世にいるのもこの目的のためです。」
◆今月の聖句 「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネ1:9)
つらい時、悲しい時、不安の中にいる時、わたしたちの心は暗い闇に包まれてしまいます。しかし、イエスさまはどんな時にも私たちと共にいて下さって、闇夜を照らす光となって、わたしたちに希望を与えてくださいます。聖書に書かれている言葉は2000年も前のものですが、イエスさまはその長い年月を超えて、これまでずっとたくさんの人たちを、そして今もなお、私たちを照らしてくださっているのだから本当に驚きですし、まさしく「まことの光」だと思います。その光の中で毎日を過ごせる私たちは本当に幸せだと思います。
世界には今この時も、困っている人、悲しみの中にいる人がたくさんいます。それらの人たちの上にもイエスさまの光が照らされるように、温かいクリスマスが訪れるように、みんなで祈りましょう。(子どもの礼拝要旨)
園長 石川 勇
2022年11月 恵み
1年前
◆輝く子どもと共に -恵み-
11月に入り、秋も本番を迎えました。葉の色づきや、木々の実り、抜けるような青空など、身の周りでもたくさんの秋を感じられます。この季節、幼稚園では芋ほりや遠足などを通して、また日常の保育の中で、身体いっぱいに秋を感じ、満喫しています。
過日は気持ちのよい天気の中、全員参加で、喜びいっぱいにプレーデーを行うことができました。はりきる子ども達を中心に置き、ご家族や教師、仲間達が笑顔いっぱいに応援できた素晴らしい一日でした。これらの機会がきっかけとなり、またこれらの機会をご一緒することで、今後一層父母同士、あるいは幼稚園との親睦、信頼が深められていくことを心より願っています。ご支援ご協力くださった皆さまにこの場を借りて心よりの感謝を申し上げます。
今月は恵みについて思うことを書きたいと思います。幼稚園では11月中旬に収穫感謝祭を予定しています。収穫感謝祭の起源は、1620年9月6日にイギリスの清教徒と呼ばれる102名のクリスチャンたちが、メイフラワー号に乗って大西洋に船出したことにさかのぼります。彼らが、北アメリカのプリマスに上陸したのは11月の寒い空の下でした。そして、最初の木小屋が建ったのが、ちょうどクリスマスの日。異郷の地で迎える冬は厳しく、食べる物も着る物もほとんどなく、農耕のすべも知らず、飢えと寒さと病気で半数が死にました。やがて春が来た頃、親しくなった先住民族から種子をもらい農耕を教えられました。トウモロコシ、エンドウ、大麦、小麦などです。初めての収穫の秋、彼らは予想以上の豊かな収穫に、教会で、家庭で、収穫感謝の礼拝をささげました。苦しかった忍耐の生活を振り返りつつ「小さな種子の芽を育て、太陽を輝かし、雨を降らせ、成長させて豊かな実りをお与え下さった神に感謝します」と心からの祈りをささげました。そして、友だちになった先住民族を招いて、小麦とトウモロコシでパンとケーキをつくり、七面鳥をとってきて一緒に喜びのパーティーを開きました。それが、11月に感謝祭を開いた最初です。その後240年余り経って、リンカーン大統領が、国の祝日に11月の第4木曜日を感謝の日と決めました。アメリカでは、この日、果実や木の実を料理し、開拓の労苦と神の恵みを思い起こしつつ、感謝することの大切さを教えています。
食べ物はわたし達の命と直結する重要な問題であるにも拘らず、与えられている恵みに感謝するという気持ちが少なくなっているように思います。それどころか飽食の時代、食べ物を粗末にする傾向は依然強まっているとも言えます。子どもの偏食も社会的に問題視されています。
ここに3枚の絵を想像してみてください。はじめの絵には「貧しい家の食卓」が描かれています。継ぎはぎの服を着た家族がランプの光の中で一枚のお皿に乗ったパンを囲み、頭を垂れて皆で祈りを捧げています。次の絵は「中流家庭の食卓」が描かれています。小綺麗な服を着た家族が一人ずつに盛り付けられたお皿の前に座り、お母さんだけが祈っています。最後の絵は「裕福な家の食卓」です。ワインやご馳走がならび、立派な服を着た人たちが大勢集まっています。皆、勝手気ままな方向を向き、食い散らかし、誰も祈っていません。このようにわたし達人間は、豊かになればなるほど「自分よがり」になり、祈ることも忘れ、感謝も忘れてしまうという一面を持っています。
恵みとは喜びです。食べるものがある、家族で食卓を囲む、これを当たり前と考えるか、喜びとして考えるかで価値観が大きく分かれるでしょう。もう少し考えるなら、こうして皆で食べられるのも収穫の実りがあったからであり、健康を与えられているからであるということに気付きます。このことこそ自分達に与えられている大きな恵みであり、喜ぶべきことであります。Thank(感謝する)の語源はThink(考える)だそうです。つまり、与えられている大きな恵みに気付き、さらに「考える」ことが深い「感謝」につながるのです。今月の聖書の言葉も「主は必ず良いものをお与えになり、わたしたちの地は実りをもたらします(詩編85:13)」としています。
食事に限らず、与えられている恵みを感謝することは、豊かな時代、便利な生活だからこそ「見失いがちな大切な価値観」であると思います。どうぞご家庭の中でも大きな恵みに気付き、考え、シェアをして「喜びと感謝にあふれた生活」をお過ごしください。
園長 石川 勇
«
‹ 前
2
次 ›
»