2014-11-14 07:42輝く子どもと共に
◆輝く子どもと共に -⑦恵み-
11月に入り、秋も本番を迎えました。葉の色づきや、木々の実り、抜けるような青空など、身の周りでもたくさんの秋を感じられます。この季節、幼稚園では芋ほりや遠足などを通して、また日常の保育の中で、身体いっぱいに秋を感じ、満喫しています。
過日は気持ちのよい天気の中、全員参加で、喜びいっぱいにプレーデーを行うことができました。はりきる子ども達を中心に置き、ご家族や教師、仲間達が笑顔いっぱいに応援できた素晴らしい一日でした。また、先日には父母会のバザー(みんなであそぼう!てづくりフェス)が、大盛況のうちに行われました。今年もお母さま方が一丸となって、子ども達のために楽しい時を提供して下さいました。これらの機会がきっかけとなり、またこれらの機会をご一緒することで、今後一層父母同士、あるいは幼稚園との親睦、信頼が深められていくことを心より願っています。ご支援ご協力くださった皆さまにこの場を借りて心よりの感謝を申し上げます。
今月は恵みについて思うことを書きたいと思います。幼稚園では来週にも収穫感謝祭を予定していますが、収穫感謝祭の起源は、1620年9月6日にイギリスの清教徒と呼ばれる102名のクリスチャンたちが、メイフラワー号に乗って大西洋に船出したことにさかのぼります。彼らが、北アメリカのプリマスに上陸したのは11月の寒い空の下でした。そして、最初の木小屋が建ったのが、ちょうどクリスマスの日。異郷の地で迎える冬は厳しく、食べる物も着る物もほとんどなく、農耕のすべも知らず、飢えと寒さと病気で半数が死にました。やがて春が来た頃、親しくなった先住民族から種子をもらい農耕を教えられました。トウモロコシ、エンドウ、大麦、小麦などです。初めての収穫の秋、彼らは予想以上の豊かな収穫に、教会で、家庭で、収穫感謝の礼拝をささげました。苦しかった忍耐の生活を振り返りつつ「小さな種子の芽を育て、太陽を輝かし、雨を降らせ、成長させて豊かな実りをお与え下さった神に感謝します」と心からの祈りをささげました。そして、友だちになった先住民族を招いて、小麦とトウモロコシでパンとケーキをつくり、七面鳥をとってきて一緒に喜びのパーティーを開きました。それが、11月に感謝祭を開いた最初です。その後240年余り経って、リンカーン大統領が、国の祝日に11月の第4木曜日を感謝の日と決めました。アメリカでは、この日、果実や木の実を料理し、開拓の労苦と神の恵みを思い起こしつつ、感謝することの大切さを教えています。
食べ物はわたし達の命と直結する重要な問題であるにも拘らず、与えられている恵みに感謝するという気持ちが少なくなっているように思います。それどころか飽食の時代、食べ物を粗末にする傾向は依然強まっているとも言えます。子どもの偏食も社会的に問題視されています。
ここに3枚の絵を想像してみてください。はじめの絵には「貧しい家の食卓」が描かれています。継ぎはぎの服を着た家族がランプの光の中で一枚のお皿に乗ったパンを囲み、頭を垂れて皆で祈りを捧げています。次の絵は「中流家庭の食卓」が描かれています。小綺麗な服を着た家族が一人ずつに盛り付けられたお皿の前に座り、お母さんだけが祈っています。最後の絵は「裕福な家の食卓」です。ワインやご馳走がならび、立派な服を着た人たちが大勢集まっています。皆、勝手気ままな方向を向き、食い散らかし、誰も祈っていません。このようにわたし達人間は、豊かになればなるほど「自分よがり」になり、祈ることも忘れ、感謝も忘れてしまうという一面を持っています。
恵みとは喜びです。食べるものがある、家族で食卓を囲む、これを当たり前と考えるか、喜びとして考えるかで価値観が大きく分かれるでしょう。もう少し考えるなら、こうして皆で食べられるのも収穫の実りがあったからであり、健康を与えられているからであるということに気付きます。このことこそ自分達に与えられている大きな恵みであり、喜ぶべきことであります。Thank(感謝する)の語源はThink(考える)だそうです。つまり、与えられている大きな恵みに気付き、さらに「考える」ことが深い「感謝」につながるのです。今月の聖書の言葉も「主は必ず良いものをお与えになり、わたしたちの地は実りをもたらします(詩編85:13)」としています。
食事に限らず、与えられている恵みを感謝することは、豊かな時代、便利な生活だからこそ「見失いがちな大切な価値観」であると思います。どうぞご家庭の中でも大きな恵みに気付き、考え、シェアをして「喜びと感謝にあふれた生活」をお過ごしください。
園長 石川 勇