• 2011年度6月 ③家庭の関わり7年前

    ◆楽しい子育てに向けて -③家庭の関わり-

     6月に入り、梅雨の季節を迎えました。大地に潤いを与え、木々や草花、作物を大きく育てる恵みの雨です。雨の大切さを感じ、楽しみながらこの時期を過ごしてまいりましょう。

    幼稚園では1学期の保育も徐々に高まりをみせてまいりました。子ども達はたくさんの刺激の中で、それぞれなりに毎日の生活に精一杯参加し、頑張っています。保育参観などの機会もありますが、お友達と比べたり、課題ばかりに目をやるのではなく、お子さんが幼稚園で何を頑張っているのか、幼稚園のどんなところを好きになったのか、どんなお友だちができたのかといった「良い点」に目を向けてみましょう。きっとお子さんの新しい一面が見つかると思います。

     さて、今月は「家庭の関わり」というテーマで楽しい子育てを考えます。高い社会性を持つ動物といわれている「ゾウ」は、その生涯を自分の所属する群れで過ごします。群れには年長者(70歳くらい)から生まれたてのあかちゃんまでおり、その群れは20頭近い規模になります。子ゾウは群れ全体で育て、生きていく知恵やルールなどが時間をかけて教え伝えられていくのだそうです。しかし、アフリカでは近年ゾウが人間を襲ったり、農作物を荒らしたりする事件が頻発しており、深刻な社会問題になっているそうです。元来人間とうまく共生していたゾウが、なぜそのような行動をとる様になったのか?観察や研究が進み、ひとつの事実が分かりました。それは、象牙捕獲のために密猟者によって「特に象牙の大きい年長者から」殺されてしまう、このことは、ゾウの群れにとっては「生きる知恵やルール」を伝えていくべき存在が突然いなくなるということで、その年長者を欠いた群れで育った(教育を受けていない)ゾウが被害をもたらすような行動をしてしまうのだそうです。長い歴史をかけて人間との間に築かれてきた暗黙のルールが今まさに壊れようとしている・・・。人類の歴史にとっても本当に大きな損失であると思うのと同時に、この日本で生きる「私達の生き方」にも共通するメッセージであるように感じます。

    「社会の最小単位は家庭である」といわれます。子どもは家庭で学んだ知恵を生かしてやがては大きな社会で生きていくのですから、家庭教育が子どもにとっていかに重要かが分かります。しかし、家庭崩壊や、それに限らず家庭はあっても「家庭教育」が十分になされないまま子どもが育ち、様々な問題を引き起こすケースが年々増加の一途をたどっているそうです。今、家庭教育を真剣に考える時が来ているのではないでしょうか。

    家庭教育とは親としての「関わり」そのものであり、社会を生きていく術を「人任せ」にせず、わが子に継承していこうとする親の覚悟と行動です。暴れゾウのような人間にならないためにどのように育てますか?あるいは、社会を上手に生きていくコツとはなんでしょうか?幸せに生きるとは一体どんなことですか?…目先のことだけではなく、少し長いスパンで、親(年長者)として伝えるべきことをご夫婦でよく話し合い、互いに協力し合ってそのような生活を実践していくことこそが家庭教育なのだと思います。子は親の背中を見て育つといいます。言葉だけでなく、どうぞ率先して手本となるような行動で「背中を見せ」、この楽しい子育ての時をお過ごしください。


    ◆今月の聖句 「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ3章16節)


    神様がどれほどわたし達を愛してくださっているかを知ることのできる聖句です。かけがえのないわが子をどこかに送るなどわたし達には想像もつきません。しかし、神様はその独り子であるイエス・キリストをわたし達のもとにお遣わしになりました。そして今もなお、神様の栄光をイエス・キリストを通してわたし達にお示しになられているのです。神様は、これ以上ない大きな、そして深い愛でわたし達を包んでくださっています。
    さて、イエス様は、その生涯を通してわたし達に「愛」を教えてくださった方です。今月から子ども達の礼拝でも「イエス様」のお話しが始まりました。幼稚園での様々な出会いの中で、最も大きな出会いはイエス様との出会いです。聖書の中でイエス様が語られる言葉や教えは子ども達の心に深く染みとおります。その言葉は、毎日の生活の中で、あるいはこれからの人生の上でも、どんな時にも「いかに生きるか」をわたし達に示してくださるのです。
    大人になってからイエス様と出会い、生き方が変わった人も大勢います。しかし、幼いうちにイエス様に出会い、その生涯や言葉に触れることができることはたいへん恵まれていると思います。子ども達には幼稚園で出会ったイエス様のことをずっと心の中に大切にしていってもらいたいと願っています。
    ご家庭でもお子さんが幼稚園で覚えた賛美歌を歌ったり、お祈りをしたりすることがあるかもしれませんが、どうぞ大切な時として心を合わせて下さいますようにお願いします。そして、ご家族でもぜひ一度教会へお出かけください。

    園長 石川 勇

  • 2011年度5月 ②バングラデシュの子育て7年前

    ◆楽しい子育てに向けて -②バングラデシュの子育て-

    5月も半ばを迎え、春から夏へ向かって自然の息吹も力強さをましている中、幼稚園でも日々の生活を通して子ども達の輝きがさらに増してまいりました。先週にはバングラデシュからBDPの総主事であられるアルバート・マラカール氏をお招きして、ゆたかな交流のときを持つことができました。お迎えに際してはエイセフボランティア会やグリーンボランティア、ミーナ友の会の皆さんをはじめとして、多くの皆さん方にご協力いただきまして本当にありがとうございました。

    今月はバングラデシュの子育て事情についてお伝えします。ご存知のように、バングラデシュは世界の中でも「最貧国」に位置づけられ、経済的に大きな困難を抱えている国の一つです。日本人の平均年収は400万円くらいだそうですが、バングラデシュ人の平均年収は3万円とも4万円とも言われています。単純に計算すると、一日に100円程度しか使えないことになります。一日当たり使えるお金が1ドル以下の人たちを「絶対的貧困層」というそうですが、バングラデシュでは国民のほとんどがその層に入ってしまう計算です。しかし、稼ぎがある(仕事がある)人はまだいい方で、日々の糧もろくに与えられない人たちも大勢いるのです。

    貧困は、「貧困である →子どもを学校に通わすだけの余裕がない →教育が受けられない(=読み書き、計算ができない)ことで成人してからもろくな仕事に就けない →貧困から脱却できない」というように、負の連鎖を生み出してしまいます。BDPではこの20年に亘ってACEFの支援の下に「教育こそがバングラデシュの発展に不可欠である」と、学校に通えない子ども達のために無償で学校を開き、教育の機会を与えています。現在ではBDPの学校に通う子どもは11,000人を数え、大きな教育の運動に発展しています。私も以前訪バし、BDPの学校に見学に行く機会がありましたが、どの子どもも学校に行ける喜びでいっぱいに目を輝かせながら勉強している姿に感心させられたのを覚えています。しかし学校に通えても、卒業まで通学できる子どもは、稀といってもいいほど少ないそうです。それは、家庭の経済状態のために子どもも働かなければならないからです。学習を積み上げる重要性、それによって広がる将来の可能性などを親が知らない(親自身が教育を受けたことがない)ため、あるいは日々の暮らしがそれ以上にひっ迫しているため、子どもを学校に通わせきれないというのが実情のようです。

    農村部の一般家庭を訪ねた時、7人、8人の家族が竹と泥でできた質素な家に身を寄せて暮らしていました。個々の部屋などはなく、共有スペースを目的によって使い分け、ある時はダイニングに、そしてある時は寝室にと使用するのです。ガスも電気も水道も通っていないので、近くの井戸から水を汲み、薪で火をおこし、土間で調理をします。子ども達は家の手伝いのために露店で花や果物を売ったり、夕食のエビを捕りに出たり、水を汲みに行ったりして、家族のために一生懸命に働きます。家族が協力し、毎日の生活のために団結して暮らしている姿には「本来の家族のあるべき姿」を教えられましたが、同時に、そこにはただ「生活のための毎日」が繰り返され、その後生活が向上していく可能性はどこにも見つからないという感じも受けました。

    私たちは日本という恵まれた国で生活し、子どもが教育を受けることは今や当たり前となっていますが、そうではない現実を知ることで、「自分たちがどれだけ恵まれた環境を与えられているか」ということに気づくことができます。教育を受けることは「人生を選択するチャンスを広げる」ことです。せっかくそのチャンスが与えられているのですから、子ども達にはぜひ大きな夢や志を持って「期待に満ちた人生」を歩んでいってもらいたいと心から願います。そして、そのチャンスが与えられていない子ども達のことを忘れずに、そのチャンスが少しでも広がるように願い、これからもできる範囲で応援していきたいと思います。

    ◆今月の聖句 「主は羊飼い わたしには何も欠けることがない」(詩篇23編)

    聖書の詩篇というところに書かれている言葉です。「神様は私たちの羊飼いのような存在です。私はそれだけで安心して生きていけるのです。」という、与えられている恵みに感謝し、神様を賛美する大変有名な詩です。これに続く言葉がまたとても素晴らしいので、機会があれば是非読んでみて下さい。
    さて、羊はたいへん方向音痴な動物だそうです。よって群れで行動し、近くの仲間について行動するのですが、その群れを率いる存在が不可欠です。それが羊飼いです。羊飼いは広大な大地を羊の群れを率いて、エサとなる青草や水を与えます。嵐が来れば羊を雨風から守り、夜は獣やオオカミから羊を守ります。まさに羊と寝食を共にし、苦楽も共にする、羊から見れば命を守ってくれる「絶対の信頼を寄せられる存在」なのです。
    私たちは与えられている恵みをついつい忘れ、独りよがりな考えに陥ってしまい、多くを望んでみたり、人と比べてみたりして歩むべき方向を見失ってしまうことが少なくありません。そういう意味では人間は羊に負けないくらい「人生の方向音痴」といえるかもしれません。
    与えられている恵みに気づき、地に足をつけて、毎日を感謝の気持ちでいっぱいにして過ごしてまいりましょう。

    園長 石川 勇

  • 2011年度4月 ①幼稚園の活用7年前

    ◆楽しい子育てに向けて -①幼稚園の活用-

    ご入園、ご進級おめでとうございます。いよいよ2011年度の保育が始まりました。今年度も子どもを中心としてご家庭と園とが心を合わせ、ご一緒に歩んでいけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

    このペーパーは、「園長が思うことを自由に書いてもよい」という私にまかされた数少ないチャンスでありますので、父母会の時に合わせて私の思いを述べていきたいと思います。今年は、◆楽しい子育てに向けてと、◆今月の聖書(聖書個所は子どもの礼拝と同じ)という2本立ての内容で考えてみたいと思いますので、一年間どうぞお付き合いください。そして、読んだ後には「まあ素晴らしい!」、「よくわからん!」など、どんな感想でもお寄せくださると私の励みにつながりますので、皆さんどうぞお支えくださいますように。

    さて、今月は「幼稚園の活用」について考えます。「子育て」の字をよく見ると「子を育てる」という親目線の表現であることがわかります。親としてどのようにお子さんを育てるか、親である以上、皆さんが頭を抱える問題です。ある講演会の時に「子育ち」という話しを聞いたことがあります。これは「子どもが自分で育っていく」という子ども目線の表現です。「子どもは自分で育つもの」、「親はそれを見守り、応援し、手伝うもの」という関係を忘れずに!というお話しでした。確かに、子育てを取り違えてしまうと、親の言いなりになる子どもを育てようとしてしまいがちです(=管理)。しかし、子どもにも意思があるので親の思った通りに行動するはずもなく、気がつけば注意や指示ばかり…、ひどい場合にはしつけという名のもとに、どう喝、暴力という最悪の行動に至ってしまうことすらあります。だからと言って、子どもは勝手に育つから親は何もしなくてもよい(=放任)というのもよろしくない考えです。これは子どもがやりたい放題、節操もなく自分勝手に育ってしまうという問題を引き起こします。親として「子育ち」と「子育て」をよく理解することが、楽しい子育てにつながっていくひとつの目標と言えそうですね。

    そこで、楽しい子育てのために幼稚園を活用しましょうというのが今月のテーマです。幼稚園とは子ども同士が互いに育ちあい、育てあう場です。規則、規律正しい生活の中で、ゆったりと安心した雰囲気の中で、あるいはワクワク刺激いっぱいの活動を通して、そして先生や、友だちに見守られ支えられながら、「安心して自らが大きくなっていける場」なのです。成長の過程ではたくさんの失敗があります。時には不安なこともあるでしょう。しかし、その一つひとつを乗り越えてお子さんは強く、大きくなっていくのですから、親は子を努めて肯定的に励まし、応援してあげる必要があります。お子さんの話に耳を傾け、答えを与えるのではなく「共感していく」関わりが大切です。そして、幼稚園で元気いっぱいに過ごせるよう、食事や睡眠、規則正しい生活を心がけ、健康に過ごし、ご家庭でも楽しい幼稚園のお話しや歌に溢れるよう工夫してみましょう。

    幼稚園でどんなお友達ができたのか、今夢中になっている遊びはどんな遊びか、挑戦していることはどんなことなのか、どんな困難を乗り越えられたのか…。幼稚園で「自ら大きくなっていこうとしている」お子さんの最大の理解者、援助者は先生です。担任や主任の先生と豊かに交わり、ご家庭とは違う角度からもお子さんを見てみましょう。きっとお子さんの新たな一面に出会えることでしょう。

    ◆今月の聖句 「はじめに神は天地を創造された」(創世記1:1)

     この言葉は「聖書」に一番初めに書かれている言葉です。光も、海も、生物も、そして天も地もないところから、神様はこの世界を創造されたと書かれています。天と地、光、海と陸、太陽や月、そこに住む動植物、そして最後にご自分にかたどって人間をお造りになられました。「主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(7節)」とあります。このように天地創造の記述は私たちに驚きと感動を与えてくれます。それは、自然も動植物も、そして私たちも神様の被造物であり、相互に深く結びつき、神様から命を与えられているということです。
     地球温暖化や、石油の枯渇問題、あるいは国内においても年間3万人を超える自殺者や、DV、ニート、不登校、子どもの鬱…。世界も国内も様々な危機や問題を抱え、その中で多くの大人や子どもが病んでいます。競争や比較、結果主義の渦巻く社会を生き抜くことは容易ではありません。自分の存在意義や、人生の意味をも見失い苦しんでいる人達がなんと多いことでしょう。まったく大変な時代となりました。
    しかし、「神様に造られた世界」に、「神様に造られた私たち」が、「命を与えられて」生きているという前提に立つと、私たちがどう生きるべきかについて道が示されるように思います。つまり、人間の生き方とは、手段を選ばずに自然を破壊し開拓開発することや、命を削ってでも人と競争して勝ち抜くことではなく、自然に対して畏敬の念をしっかりと持ち、人間同士も互いに愛しあい、助けあって生きていくことが本来の生き方であるというメッセージを受け取ることができるのです。今こそ「人にも自然にも優しい生き方」が問われているように思えてなりません。

    園長 石川 勇